ブックマーク / number.bunshun.jp (6)

  • チェコ史上初の「野球テレビ中継」、選手の本業は「地理教師・消防士・金融アナリスト」…WBCチェコ代表を“絶対好きになる”話(水次祥子)

    相撲、どこに行ったら見られるの? 屋根のある球場だけでなく、選手たちのほとんどは日に来ること自体が初めて。だからこそ目にするものすべてが新鮮だった。ジーマはうれしそうにこう続けた。 「日文化べ物も気に入ったよ。スシに、ラーメン。何ていう名前だっけな、あのラーメンは……。とにかく辛くておいしかった。日文化や伝統もいいね。お寺とか、細かいディテールにこだわるところとか」 ディテールとは? 「例えばレストランで、箸の置き方とかもてなしの仕方とか。何でもきちんとした決まり、約束事がある。(土俵に上がってから儀式がある)相撲もそうだよね。実はすごく相撲を見に行きたいと思っているんだ。どこに行ったら見られるの? 連れていってほしい」 そう言って人懐っこそうな笑みを浮かべた。 チームの大黒柱は「業・消防士」 チェコ代表は、昨秋にドイツで行われた予選A組(ヨーロッパ・アフリカのチームが出場

    チェコ史上初の「野球テレビ中継」、選手の本業は「地理教師・消防士・金融アナリスト」…WBCチェコ代表を“絶対好きになる”話(水次祥子)
    ashikus
    ashikus 2023/03/12
  • ロッテ前身球団の“消えた野球場”…南千住にあった「東京スタジアム(味スタじゃない方)」今は何がある?(鼠入昌史)

    今回は、ロッテのお話である。 と、いきなり話が脇にそれるが、筆者は阪神ファンだからロッテ打線はとてつもなく強力だと思っている。言わずもがな2005年の日シリーズ、33-4とかいうアレで、阪神はロッテに4連敗してしまった。そのインパクトが強すぎて、15年経った今でもロッテ打線など抑えられるはずがないと恐怖におののいている。そういうわけで、ロッテの話をするのはなかなかツラいものがある。せめてもの救いは、今回のテーマがロッテはロッテでもその前身「東京オリオンズ」と呼ばれていた時代の物語であること。安心して話を先にすすめることにしよう。 (味スタじゃない方の)東京スタジアムとは? 今の千葉ロッテマリーンズが東京オリオンズと名乗っていたのは1964年から1968年の5年間。ホーム球場は東京スタジアムだった。東京スタジアムというと、京王線の飛田給駅の近くにあるアレか、と思う人もいるかも知れない(「味

    ロッテ前身球団の“消えた野球場”…南千住にあった「東京スタジアム(味スタじゃない方)」今は何がある?(鼠入昌史)
    ashikus
    ashikus 2021/01/24
    “当時、東京にはオリオンズと読売巨人軍、国鉄スワローズの3球団がひしめいて、” 東映フライヤーズもあったでしょ。
  • 箱根駅伝、前代未聞の“替え玉事件”とは?「誰も知らない日大ランナーが3区でごぼう抜き…」(近藤正高)

    1925(大正14)年1月6日、6回目となる箱根駅伝の往路で、ある事件が起きた。 このとき、日大学の第2区の走者だった前田喜太平は、区間賞の快走で、日大を8位から6位に引き上げて戸塚の中継所に飛び込んだ。しかしそこで待っていた3区の走者は、予定された吉田正雄ではなかった。前田は狐につままれたような気持ちを抱きながらも、とにかくその走者に襷を渡す。 この走者が予想外の活躍を見せる。先を走っていた明治大学、慶應義塾大学、日歯科医専、東京高等師範学校をごぼう抜きし、日大は一気に6位から2位へとのし上がった。戸塚では先頭の中央大学に7分半近く差があったのが、平塚の中継所で4区の走者・会川源三に襷を渡すまでに2分ほどに縮めていた。しかし、会川は、「選手が来たぞ! 日大だ」と観衆が叫ぶのを聞いても信じなかったという。その上、走って来たのは顔も見たこともない男だった。会川は驚きながらも、仕方がないの

    箱根駅伝、前代未聞の“替え玉事件”とは?「誰も知らない日大ランナーが3区でごぼう抜き…」(近藤正高)
    ashikus
    ashikus 2021/01/04
  • ヒグマに襲われ死亡したハンターの「顔面」は原形をとどめない…なぜ顔を狙うのか?(伊藤秀倫)

    登山の際、気をつけるべきヒグマに関する記事の前編です(後編はこちら。記事最終ページ下の「関連記事」からもご覧になれます)。 雪山の現場には多量の血痕が残されており、その下方には握りの部分が折れた銃や、カバン、帽子、水筒が散乱し、さらに下方にハンターAさんの遺体があった。 死因は出血多量による失血死とされ、その受傷の状況は、右腕、右足を骨折、左腕や頚部などにも裂創があったが、とりわけ額骨、鼻骨、上下顎骨などを複雑骨折するなど顔面に原形をとどめないほどのダメージを受けていた。ヒグマによる顔面への執拗な攻撃は、とくに猟者に対する反撃の場合にみられる特徴だという──。 ◆◆◆◆◆

    ヒグマに襲われ死亡したハンターの「顔面」は原形をとどめない…なぜ顔を狙うのか?(伊藤秀倫)
    ashikus
    ashikus 2020/12/13
  • 「夢なのか、現実なのか……」清原和博は甲子園決勝で何を見たか。(鈴木忠平)

    100回大会の決勝を観戦した清原和博氏。1985年夏の決勝で2塁打を放ち、PL学園を優勝に導いた日と同じ8月21日だった。 金足農業、最後の打球がライトへ上がった。白球をつかんだ大阪桐蔭の選手たちが、グラウンドの真ん中に歓喜の輪をつくる。 その瞬間、清原氏は立ち上がり、何かに引き寄せられるかのように身を乗り出した。かつてのPL学園に代わって最強の称号を手にする大阪代表校、すべてを出し切った秋田の県立校、そして拍手に包まれる甲子園球場、スタンド最上部から、それらをい入るようにじっと見つめていた。 清原氏はなぜ、甲子園へきたのか。何を求めてきたのか。 甲子園に行けたら何か変われるかも。 「甲子園に行きたいです。100回目の夏、甲子園に行けたら、何か変われるかもしれない。そう思うんです――」 清原氏から、最初にその言葉を聞いたのは去年の終わり頃だったと記憶している。 覚醒剤取締法違反で逮捕さ

    「夢なのか、現実なのか……」清原和博は甲子園決勝で何を見たか。(鈴木忠平)
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    ashikus 2018/08/22
  • 吉田義男×掛布雅之×岡田彰布!!歴史に残る初のレジェンド鼎談。(Number編集部)

    「八十周年」にふさわしい歴史的な会合が、由緒正しき場所で始まろうとしていた。 数日前には夏の高校野球・甲子園大会も終わり……つまり阪神タイガースの“死のロード”も最終盤を迎えた、とある夕べ。伝説の猛虎の男たちが、JR大阪駅から環状線でひと駅、福島駅前の虎党御用達「ホテル阪神」のVIPルームにひっそりと集結することになっていたのだ。 14時すぎ、現場でスタンバイしていたNumber885号取材班の緊張は、早くもピークに達していた。なにしろタイガースの長い歴史の中でも、“あの3人”で取材を受けるのは初めてのことなのである。 その御三方を紹介しておこう。 まずは1985年に阪神タイガースを21年ぶりのリーグ優勝と球団初の日一に導いた名将、吉田義男氏。今にいたるまで阪神の日一はその1回きり、ゆえに多くの虎党に神格化されている存在だ。一方で、「よっさん」の愛称で広く親しまれている人物でもある。

    吉田義男×掛布雅之×岡田彰布!!歴史に残る初のレジェンド鼎談。(Number編集部)
    ashikus
    ashikus 2015/09/10
    この人が掛布? みんな年取ったなぁ…。
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