病院船仕様の「橘丸」 橘丸事件(たちばなまるじけん)は、1945年(昭和20年)に日本陸軍が戦時国際法に違反して病院船「橘丸」(東海汽船、1,772トン)で部隊・武器を輸送した事件である。日本陸軍創設史上最も多い約1,500名の捕虜を出すこととなった。 ここでは本編に先立って事件に至るまでの背景などを「前史」として解説する。「橘丸」の船歴については当該項を参照とのこと。 前史[編集] 日本軍の病院船の被害[編集] 沈没する「ぶゑのすあいれす丸」(1943年11月27日) 1943年(昭和18年)12月当時、日本軍が運用し連合国側に病院船として通告済みの船舶は、日本陸軍が「橘丸」を含めて17隻、日本海軍が4隻であった[1]。 なお、日本陸軍ではこの17隻の通告済み病院船の他に、未通告のまま病院船と称する船舶を何隻か運航させていた。そのうちの1隻、「はるぴん丸」(日本海汽船、5,167トン)は
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