原爆で崩壊した山里国民学校(奥)の周囲に建ち並ぶバラック小屋。1946年12月ごろに撮影された=米国立公文書館蔵 【ワシントン徳野仁子】長崎原爆の写真や資料収集のため米国を訪れていた長崎市の調査が10日(日本時間11日)、終了した。米政府機関閉鎖の影響で、目的の米国立公文書館での調査は1日だけだったが、原爆開発のマンハッタン計画にも関わったポール・ヘンショウ博士(1992年死去)が戦後、長崎で撮影した写真約40枚などが新たに見つかった。 【1946年12月ごろ撮影の爆心。周辺に草が生え始めている】 ヘンショウ博士は原爆傷害調査委員会(ABCC)の研究者として来日。見つかった写真約40枚は裏書きから46年末ごろに撮影したと見られる。爆心地周辺に草木が生え始め、バラック小屋が建ち並ぶ様子や、米国人研究者らがケロイドを負った被爆者を診察している様子などが収められている。 調査に当たった長崎原