始皇七刻石(しこうしちこくせき)とは、秦の初代皇帝・始皇帝が権力誇示のために国内6ヶ所に建てた、秦及び始皇帝の徳を讃える7基の顕彰碑の総称。 始皇帝の側近であった李斯の筆と言われるが定かではない。秦の公式書体である篆書体で刻まれ、篆書体の数少ない書蹟として知られる。 『史記』秦始皇本紀にも詳細に記録されている碑群であるが、残存しているものは極めて少なく2基しか残されていない。 泰山刻石 (百六十五字本) 建碑の事情[編集] 『史記』秦始皇本紀によれば、始皇帝は紀元前221年の建国の翌年から10年間のうち4回にわたって国内巡幸を行い、この際に七刻石を建碑したという。 この時巡幸し、建碑したのは主に東方・南方の地域であった。この地域は秦にとっては征服地であり、そこに重点的に建碑したのは被征服民に秦の絶対的権力を見せつける目的があったと考えられている。 のち二世皇帝も同様に巡幸を行い、父の刻石に
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