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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (10)

  • 『美味しんぼ』の福島の話について、ずっと考えています。 - いつか電池がきれるまで

    『美味しんぼ』の福島の話について、ずっと考えています。 風評被害の拡散などを考えれば、ああいう描写は好ましくないとは思うのです。 取材者は、自分の都合のよい「被爆で鼻血が出るようになった人」ばかりを選んで採り上げているようにもみえますし。 ただ、僕はこの件について、水を得た魚のように「『美味しんぼ』を回収しろ!」「『スピリッツ』を廃刊にしろ!」「小学館を潰せ!」と叫んでいる人たちに、諸手をあげて賛同する気にもなれないのです。 僕がネットでみた範囲では、『美味しんぼ』のあの話題については、原作者が取材した人の「体験談」として描かれています。 それに対して、ネットでは「放射能で鼻血が出るなんて、非科学的だ」と、猛然とツッコミが入っているのです。 うん、それはそうなんだ。 これまでの人類史において、被爆した患者さんの経過を集積してみると、すぐに鼻血が出る、出血傾向がみられるような放射線被爆量であ

    『美味しんぼ』の福島の話について、ずっと考えています。 - いつか電池がきれるまで
  • 「本屋さんが一番売りたい本」と、それ以外の本 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク(1):「チーム・バチスタ」作者が屋大賞を痛烈批判 書籍の売り上げ低下傾向に拍車を掛ける? J-CASTニュース 参考リンク(2):屋好きの海堂尊(「チーム・バチスタの栄光」の作家)さんが、どうして屋大賞は嫌いなのか。 - きまやのきまま屋 とまあ、ここまで読んでいただいて話をはじめようかと思ったのですが、J-CASTニュースの記事だけ読むと、海堂さんの真意が誤解されてしまいそうなので、 参考リンク(3):読まずに当てよう、屋大賞。(海堂尊公式ホームページ) もぜひ御一読ください。 いやほんと、参考リンク(1)(2)の記事だけを読んだ時点では「海堂さんの嫉妬なのでは?」なんて思ったのですけど、屋大賞ノミネートの数が突出している「屋大賞・神7」の話を読むと、たしかにねえ……と。 ちなみに、「神7」はノミネート4回以上の、この人たち(海堂尊公式ホームページより) 8回 伊

    「本屋さんが一番売りたい本」と、それ以外の本 - いつか電池がきれるまで
  • バカにされているのは、「グリーン車」のtweetではなくて、僕やあなたの「良心」なのです。 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:超混雑だった東海道新幹線の乗客が「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」とツイート→炎上 - NAVER まとめ ちょいと新幹線の車掌さんよ!大幅に遅れて運行している中、席がたくさん空いているのにグリーン車の切符がないとグリーン車に乗れないなんて全っっっ然やさしくなーい。立ってる子連れやお年寄りよりがいるからお願いお願いって言ってもダメだった。あたいの説得力の無さったら……チーン— 有田由希/Yuki Arita (@aritayuki) 2014, 1月 3 車掌さんたちもきょうはきっとお客さんに怒鳴られたり文句言われたり業務に追われたりといろいろ大変だとは思うけど立ってる人への配慮プリーズ。こんなときの規則なんてグシャグシャしてポインじゃ— 有田由希/Yuki Arita (@aritayuki) 2014, 1月 3 これで「炎上」しちゃうのか……と愕然としてしま

    バカにされているのは、「グリーン車」のtweetではなくて、僕やあなたの「良心」なのです。 - いつか電池がきれるまで
  • 人生は、必ず「やりかけ」で終わってしまうものだから。 - いつか電池がきれるまで

    人生というのは、誰にとっても、いつ、どんなタイミングで終わったとしても「やりかけ」になってしまうものだ。 最近、一冊ののことを、よく思いだす。 僕は、一度も読んだことがない。 というか、あれこれ思いだしてしまうのが怖くて、読むことができない。 もう、20年近く前の話だ。 当時、僕の母親は重い病で入院していた。 治る可能性が限りなく低く、病勢はどんどん進行していった。 家族の一員としての立場と、医療の世界にいる人間としての客観的な状況認識のあいだで、なんだかとてもいたたまれない日々を過ごしていたような気がする。 忘れてしまったのか、忘れてしまいたいのか、詳細は、もうあまり覚えていないのだけれども。 病床で、母親は僕に、ひとつの頼みごとをしてきた。 「このあいだ、テレビで紹介されていたを読みたい。『いしのなんとか』というような題名だったと思うのだけれども……それが面白そうだったから」 母は

    人生は、必ず「やりかけ」で終わってしまうものだから。 - いつか電池がきれるまで
  • ある「移転宣言」への雑感 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:引っ越します  - 24時間残念営業 残念だ、としか言いようがない話ではあるのだけれども。 ある程度の期間、人気ブログをやっていると、「移転する」というのはそれなりに大きな決断ではあるんですよね。 やっぱり、来る人は減るし、これまでリンクしてもらっていた人には手間をかけるかそのままデッドリンクになるし、アフィリエイトとかやっている人なら、売上だって減る。 当に「やめる」のならともかく。 ああ、でも僕からみたid:lkhjkljkljdkljlさんって、書いていくうちに、読まれていくうちに自分の中で内圧が上がっていって、どんどんテキストを量産するようになり、それがまた推進力になってさらに書かずにはいられなくなり、そうやっているうちにどこかで臨界点がきて爆発してしまいリセット、というのを繰り返すタイプなのかな、という気がするんですよね。 だから、アンチのことは確かに腹立たしかった

    ある「移転宣言」への雑感 - いつか電池がきれるまで
  • ある書店員さんの「後悔」と、二軒のラーメン屋の話 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:書店人失格 〜ある残念な書店員の話〜《天狼院通信》 - 天狼院書店 この話を読んで思い出した、二軒のラーメン屋の話など書いてみます。 先日、出張先で、ある有名ラーメン店に入ったのです。 平日の昼下がりで、まだランチをやっている時間。 店内は満席で、外には数人が並んでました。 僕と友人ランチラーメン+餃子+ごはん)を注文。 まず、ラーメンが運ばれてきました。 早速、僕たちはラーメンべ始めたのですが、3分の1くらいべたところで、友人は急な所用ができて、席を立ちました。 しばらく電話で話をして、戻ってきたのは10分後くらい。 友人が、じゃあ、またべようかな、と箸を動かし始めたそのときです。 店員さんが、友人に声をかけました。 「お客様、このラーメン、もうのびてしまっているので、新しいのをお作りしましょうか?」 友人は「いえ、だいじょうぶです」と答えたのですが、僕はこの店員

    ある書店員さんの「後悔」と、二軒のラーメン屋の話 - いつか電池がきれるまで
  • いま、ブログにできること、ブログだからできること。 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク(1):俺のブロガー精神論 - シロクマの屑籠 これを読んで、久々にブログ論でも書いてみようかな、と思っていたのですが、あらためていろいろ考えてみると、 参考リンク(2):個人ブログの現在、そして、たぶん未来 - 琥珀色の戯言 2年前に書いたことから、そんなにアップデートされるべきこともないので、どうしようかな、という感じです。 まあ、とりあえず、今思いついたことをいくつか。 うちの息子も、もう4歳になりまして、なんとか元気に幼稚園に通っております。 このくらいの年齢の子ども、とくに男の子っていうのは、「ギャング・エイジ」なんて呼ばれたりして、「悪戯」が大好き。 親だからといって、朝忙しいときに全く着替えてくれず、ご飯もべず、なかなか言う事も聞いてくれずに、口を開けば『クレヨンしんちゃん』ばりの困った言葉連発…… でも、そんなとき、僕は昔書いた、このエントリを思い出すわけです。

    いま、ブログにできること、ブログだからできること。 - いつか電池がきれるまで
  • 「13歳の息子へ、新しいiPhoneと使用契約書です」をめぐる議論について - いつか電池がきれるまで

    参考リンク(1):13歳の息子へ、新しいiPhoneと使用契約書です。愛を込めて。母より(Hana.bi) - BLOGOS(ブロゴス) 参考リンク(2):iPhoneの使用契約書の記事を読んで感動する人は親になる資格などない。(はてな匿名ダイアリー) この件について雑感など。 僕が<参考リンク(1)>の記事を読んで最初に感じたのは、「ずいぶんとめんどくさいお母さんだなあ」でした。 書いてあることには、いちいちごもっとも、ではあるのだけれど。 とはいえ、<参考リンク(2)>ほどの反感もないというか、「親になる資格」なんて言い出したら、当の「有資格者」なんているのだろうか?と、今日も服を着替えず、ご飯をべてくれない子どもにイライラしていた自分を思い返してしまうわけです。 「子どもにもプライバシーが必要」 それはそうだ。 しかし、僕は「子どものプライバシーを尊重していますから」という親の元

    「13歳の息子へ、新しいiPhoneと使用契約書です」をめぐる議論について - いつか電池がきれるまで
  • 「ネットで憂さ晴らしをしていた頃」の自分へ - いつか電池がきれるまで

    僕は何度か、サイトを閉鎖、あるいは休止したことがあります。 僕にとってはサイトって大事なものだけに、ネット上でのトラブルのみならず、プライベートで問題が起こったときにも「自分の存在をネットから消してしまいたい」とか思い詰めてしまうことがあるのです。 書いて公開するというのは、それなりにエネルギーが要ることなので、その気力が無い時、あるいは、「ネット上から消えますよ」というサインを出すことによって、誰かに励ましてもらいたいとき。 以前のネットは、そういう「個人のネガティブな感情の表明」に対して、いまよりはもう少し感情的・あるいは好意的な反応が得られていたと記憶しています。 でも、いまは、「ネガティブな感情」を表出しても、誰も慰めてはくれない。 いや、むしろそういう人や行為は迷惑だ、と見なされる。 受け手としては、僕自身もそう感じますしね。 いまは、ネガティブな感情が自分に降り積もっていくとき

    「ネットで憂さ晴らしをしていた頃」の自分へ - いつか電池がきれるまで
  • 「答えることのできない問いに、答えなければならない時代」の苦しさ - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:「あいつが悪い」の大合唱が怖い :Heartlogic 僕もそういう「ネットでの大バッシング」は怖いな、と思うのです。 ただ、今回の「飛行機で泣き止まない子ども」の事例に関しては、なんというか、あまりスッキリしないところがあって。 さかもと未明さんが、「子どもの泣き声がうるさい」と感じる権利はあるんですよね、基的には。 それこそ「個人の自由」なわけです。 じゃないと、「お前はいま、俺のことをバカだと思っただろう!」って責められる世の中がやってきてしまいます。 僕個人の「落としどころ」としては、「うるさいし、迷惑かけて申し訳ないんだけど、みんな昔は子どもだったんだし、こちらでも努力はしますので、なるべく丸くおさめてもらえませんか?」くらいだったりするんですよね。 僕も小さな子どもの親なので、「自分の子どもが、他の人に迷惑をかけてしまうケース」を想像せずにはいられません。 「ネッ

    「答えることのできない問いに、答えなければならない時代」の苦しさ - いつか電池がきれるまで
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