タグ

ブックマーク / suumo.jp (4)

  • 「武蔵小杉」で立ち止まり、人生を立て直したあの頃。|文・紺野あさ美 - SUUMOタウン

    著: 紺野あさ美一番弱った頃に出会った街こんなに都会だったっけ? 久しぶりに武蔵小杉に降り立って、少し呆然としました。 今からもう10年近く前ですが、私は一時期この武蔵小杉に住んでいました。テレビ東京のアナウンサーをしていた頃ですね。 その後は結婚を機に退社し、3人の子供たちの出産・育児に追われていましたが、2年ほど前から少しずつお仕事を再開するようになりました。そうすると「元アナウンサー」「モーニング娘。OG」など様々な肩書きで紹介され、「アイドルもアナウンサーも、夢を叶えてすごいね」「人生グラフずっと高いね」そんな言葉をかけられたりもします。 でも、私にも「へこたれていた時期」というのがありまして……。一度会社を休職させて頂いたこともありました。自分の人生の中で一番弱かった頃かもしれません。その時に引っ越した先が神奈川県川崎市の武蔵小杉になります。 利便性より、ゆったりした空気を求めて

    「武蔵小杉」で立ち止まり、人生を立て直したあの頃。|文・紺野あさ美 - SUUMOタウン
  • 何かを勝ち取るまで岐阜には帰らない。LiSAさんが探し続けた東京での居場所 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:小野奈那子 圧倒的な熱量のステージングと歌唱力で、日を代表するライブアーティストに上り詰めたLiSAさん。岐阜県で育った幼少期から、歌手を夢見ていたといいます。 11歳で沖縄へ“移住”して歌と踊りのレッスンを受けたり、21歳で母親の反対を押し切って上京したりと、勢いのままに環境を変え、プロへの道を模索してきました。 東京で何かを掴むまで岐阜へは帰らないと決心。ライブ活動の傍らオーディションを受け続けるも、なかなか自分の居場所を見つけられなかったというLiSAさん。もがきながらも歌とパフォーマンスを磨き続け、上京から3年後にソロデビューを果たします。 何者でもなかった若者が「LiSA」になるまでの3年間、高田馬場で過ごした夜明け前の日々について伺いました。 「SPEED」に憧れ、11歳で一人沖縄へ ―― LiSAさんは岐阜県関市のご出身で

    何かを勝ち取るまで岐阜には帰らない。LiSAさんが探し続けた東京での居場所 - SUUMOタウン
  • わたしが詩人になることを沼津だけが知っていた(文・水沢なお) - SUUMOタウン

    著: 水沢なお 沼津は、わたしがうまれてはじめて暮らした街であり、うまれてはじめて書いた詩の名前だ。 十五歳から十八歳までのほとんどの時間を沼津で過ごした。隣町に住んでいたわたしは、沼津市内の高校へ電車と自転車を乗り継ぎ通学していた。海沿いの、芸術科のある高校だった。わたしはそこで、三年間美術を学んでいた。 教室の窓からは松林が見えた。その奥では、空の色と溶け合いながら波が揺蕩っていた。朝、クラスメイトに挨拶をするときも、水晶体、とノートに書き写す生物の授業中も、窓の外に身体を乗り出しぽんぽんと黒板消しを叩いているときも、いつでも海が存在していることが不思議だった。 沼津駅南口 今年の一月、わたしは沼津駅に降り立った。駅のホームに踏み出した瞬間、あたたかい、と思った。その日はよく晴れていて、雲の少ない空からは絶えず透明な日差しが降り注いでいた。わたしは、静岡や沼津に降る雪をほとんど見たこと

    わたしが詩人になることを沼津だけが知っていた(文・水沢なお) - SUUMOタウン
  • 美大生のための伝説のアパート、DIYし放題で“住み継ぐ”

    美術大学(美大)や美術系学科のキャンパスが集まる東京都町田市。多摩美術大学、東京造形大学、東京工科大学などに通う多くの美大生が生活しているこの町に、約15年にわたり歴代の美大生らが住み継いできたアパートがある。DIYし放題で原状回復も不要という一風変わったこの物件では、どんな暮らしが営まれているのだろうか? 芸術を学ぶ学生を支えたい。元コーヒーショップ店主の思い 町田駅からJR横浜線で4駅。相原駅から歩くこと5分、黄色い外壁が特徴的な大きなアパートが現れた。ここが美大生の受け継ぐ“伝説のアパート”「アップル&サムシングエルス」だ。

    美大生のための伝説のアパート、DIYし放題で“住み継ぐ”
  • 1