以前、信頼についてコラムにとりあげたとき、「固有名詞でつきあう」ことの重要性を指摘しました。 それに対して、担当編集者から、「じゃあ読者には『日経ビジネスの記事』としてこのコラムを読むのではなく、『小橋昭彦の文章』として読んでいただく必要がありますよね」と感想をもらい、自分を強く出すことが苦手なぼくは、うむ、とうなってしまったのでした。 記事に署名を入れるかどうかについては、さまざまな論点から議論できそうです。今回はその中で、玉木明氏が『ニュース報道の言語論』(洋泉社、1996)で議論されている、無署名であることが記事という言語空間にもたらす特徴という視点を手がかりにしつつ、マスコミないしジャーナリズムとインターネット表現の関係について考えてみたいと思います。 無署名記事が持つ特徴とは まず、無署名であることが記事という言語空間にもたらす影響ですが、これは端的に表現すれば、無署名記事には5
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