▼お仕事のご依頼 執筆、取材、講演のお問い合わせはこちらからお願いします。 ▼広告のご依頼 MM-Labo.com内への広告のご希望はこちらからお願いします。 「ロードス島攻防記」(塩野七生)、書評 筆者である塩野七生さんは「ルネサンスの女たち」でデビューし、「ローマ人の物語」などの著作で知られる歴史小説家である。 非常に長い期間、イタリアに住んでおられる関係で、イタリアの歴史に非常に造詣が深い。 本書は、十六世紀の大帝国オスマントルコと聖ヨハネ騎士団との戦いを描いた戦記物語。 もちろん史実である。 西洋の名前は覚えにくくて読み終わるのにかなり時間がかかってしまった。 イスラム教徒に対するキリスト教最前線部隊として十字軍以来、約200年活躍してきた聖ヨハネ騎士団。と聖ヨハネ騎士団が要塞を築くロードス島。 オスマントルコにとって、ロードス島は目の上のたんこぶだった。 本書は、オスマントルコが
この作品を読んでいて、「あ!」と思ったのは、「青い血」の意味がようやくわかったこと。《ヨーロッパ中世では、武をもっぱらとし、それによって他の人々を守る人間は、他とはちがう「青い血」の流れる人でなければならないとされていたのである。》 つまり、「貴族」の血が流れる者ということだろう。以前、中上健次氏が柄谷行人について「青い血、青アザ」(1989年)という短文を書いていて、その意味がよくわからず、ずっと引っかかっていたのである。*1 もうひとつ、ヘーゲルの『法の哲学』やマルクスの『資本論』に、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」という言葉が出てくるが、今回調べてみて、それがイソップ寓話に収められた「ほら吹き男」からの引用だということを知った(「Yahoo! 知恵袋」より)。 ちなみに、ロードス(Rhodes)とは、「薔薇の花咲く島」という意味だそうです。 さらにもうひとつ。『ロードス島攻防記』
2024/07 | 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 | 2024/09 1985年初版ですから、25年も前の著作です。 題材は、聖ヨハネ騎士団のロードス島におけるオスマン・トルコのスレイマン大帝との戦いです。 聖ヨハネ騎士団は、11世紀にアマルフィの商人がエルサレムの洗礼者ヨハネ修道院の跡に病院を兼ねた巡礼者宿泊所を設立したことに始まる宗教騎士団で、当初は病院・宿泊所としての役割を果たしていました。 徐々に軍事的要素を強め十字軍国家の防衛の主力となり、1187年のエルサレム陥落、1291年のパレスティナにおけるキリスト教徒最後の砦アッコンが陥落した後、当初、キプロスに逃れて海賊となってイスラーム勢力と戦い、1309年に東ローマ帝国領であったロードス島を奪いここに本拠地を移して、ロードス騎士団と呼ばれるようになります
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