2024年3月12日のブックマーク (2件)

  • 専門学校ではじめて統計学を教えた時、生徒全員がぽかーんとフリーズしたまま授業が終了した→「努力できる」が当たり前でないと気づいた教員の話

    Tsuno K, PhD, MPH @KanamiTsuno 「努力できる」「頑張れる」「やってみる」事が当たり前ではないと気付いたのは、某専門学校で初めて統計学を教えた時。黒板に数式書いても、誰も手が動かない。生徒全員がぽかーんとフリーズしたまま授業が終了。もちろん、質問は?と聞いても誰も手をあげない。帰り道、次からどう教えれば良いのか→ Tsuno K, PhD, MPH @KanamiTsuno 医学と社会学と心理学と行動科学の狭間を行く社会疫学者。研究テーマは労働時間、いじめ・ハラスメント、シビリティ、メンタルヘルス、健康格差。近著は 『パワハラ上司を科学する』amzn.to/3IBEWwJ ※発言内容は個人の見解であって、所属組織の見解を示すものではありません。 note.com/kanamitsuno Tsuno K, PhD, MPH @KanamiTsuno 文字通り頭を抱

    専門学校ではじめて統計学を教えた時、生徒全員がぽかーんとフリーズしたまま授業が終了した→「努力できる」が当たり前でないと気づいた教員の話
    azu2gouu
    azu2gouu 2024/03/12
  • 昭和農業恐慌 | 大正・昭和10000日の追憶

    小作制度と貧農 明治時代となり江戸時代の封建的な制度が次々と改廃されていった。 そんな中、農村においては江戸時代以前から続く小作制度が継続し、半封建的な支配関係が続いていた。 小作制度とは、農民が土地の所有者である地主から農地を借りて耕作する代わりに、年貢として小作料を収めたり、小作料の代わりに農奴のように働いたりする制度である。 小作制度が継続されただけでなく、明治政府は地租改正によって農民の負担を重くした。 その為、土地を手放して小作人に零落する農民が続出し、全耕地の約4割が小作地となり、地主制が確立された。 小作制度の問題点はその小作人の地主への従属関係を築いたところにある。 小作農はあくまで地主と小作人の契約であり、法律上は両者は対等な関係にある。 しかし、労働者であれば条件が合わなければ職場も住む場所すら変えられるが、小作人はその労働が土地に縛られる為に、どうしても特定の地主との

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    azu2gouu 2024/03/12