ブックマーク / xura.hatenablog.com (2)

  • 愛ある罵倒は君だけに - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    「深く考えないで捨てるように書く - ネットで罵倒をみかけたとき」を読んで。 私にもたった一人罵倒する相手がいる。憎んでいるわけではない。むしろ愛しい気持ちしか持っていない相手。その人にかける言葉は、何時もなら慈愛に満ちた言葉になるのだが、時として罵倒になってしまう事もある。その人も完璧な人間ではない。時には間違った事をしたり言ったりもする。それに気付いて欲しくて私は指摘するわけだが、最初は罵倒も効果があったものだった。しかし、最近ではスルー力を身に付けてしまったようなので、身に染みてはくれないようだ。私とは気付かれないように無関係な人間が罵倒しているように見せかけなければならないかとも思っている。人によっては罵倒が気付きと成長を促す事もあるのだ。勿論、罵倒で萎縮してしまって、成長が止まってしまう人間もいるだろうから、全てに対して罵倒が良いかと言えばそれは違うだろう。相手にとって一番良い対

    愛ある罵倒は君だけに - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
  • 匿名で無い事の恐ろしさ - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    「メモ - 匿名ダイアリー」を読んで。 音を引き出すにはコミュニケーションは邪魔になることがあるということかなあ…。 少なくとも私はそうだな。だが、交流をしていても「それは違う」とか「それは変だ」と交流相手にはっきりと言う者も居る。以前はそういう者が居るとは想像もした事がなかったが、今はそこかしこに居る印象を持っているよ。だが、交流があるから音が言えないのが悪いとも思わない。音が言えないのを苦痛に思うなら別れてしまえばいいのだからな。 私も以前、大手の掲示板で書き込みをしていた事があった。交流を求めて書き込みをしていたのだが、それからサイトを持ち、其方の掲示板である程度の人数と交流をしたこともある。だが、大手の掲示板に書いていた時より音はなかなか書けなくなったな。他の者は如何か知らぬが、私は相手と交流が深まれば深まるほど「それはいけないと思うよ」という類が言えなくなるようだ。だから

    匿名で無い事の恐ろしさ - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
    azumy
    azumy 2007/01/16
    実名で過激な発言をする場合、何が嫌かって、過激な人と思われてしまうこと。ただ過激な発言をする人というだけなのに、その人自身が過激な性格と思われてしまうのが。
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