2011年04月02日22:00 カテゴリSciTech東日本大震災 原発萌えな私ですら、原発はオワコンと言わざるを得ない理由 というわけで反論の反論。オワコン=終わったコンストラクション、ね。 原発は最も廉価な発電方法: ニュースの社会科学的な裏側 総論としては Life is beautiful: エンジニアから見た原発 と同じなのだけど、もう少し事例と数字が欲しかったので。 フランスの原発は世界一ぃ…だぶついている? 原発といえば成功例として必ず上がるフランス。同記事でももちろん紹介されている。Wikipedia(en)でも、こんな感じ。 Nuclear power in France - Wikipedia, the free encyclopedia France is also the world's largest net exporter of electric power
東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ、日本代表 vs Jリーグ選抜の一戦では、ファンの大歓声を背に途中出場を果たした三浦知良が、後半37分に劇的なゴールを決めた。 TBS「S1」(2日放送)では、チャリティーマッチから二日後のカズにインタビューを行った様子を伝えた。 「そこまでの大きな意味を持つゴールっていうのがあるんだなって」、「この現状で伝えることってあんのかなって。言葉では見つけられないですよね」と語るカズは、岩手県出身・のことにも触れ、「小笠原が結構悲壮感っていうか、悲しみを持って大阪入りして、“カズさんお願いします。助けて下さい”って」というメッセージを受け取っていたことを明かす。 また、自らが決めたゴールは、「よく難しかったんじゃないですかとか、コースを狙ったんですかとか、色んなことを言われるんですけど、全部本当になんというか本能というか」と説明、ゴール後に披露したカ
第27話 米将軍吉宗と元文の改鋳 テレビや時代劇でお馴染みの八代将軍吉宗は、 徳川幕府中興の祖として名高い。吉宗は、享保 の改革を通じて、五代将軍綱吉の放漫財政や災 害の発生などにより危機的状況に瀕していた幕 府財政を見事に立て直したのであった。とくに 享保7年(1722)、町人請負方式による新田開 発を解禁のうえ年貢米の増収を図ったり、米価 の調整に腐心したことにちなんで、吉宗は米将 軍とも呼ばれる。しかし、財政立て直しに最も 寄与したのは、国内産業の振興策ではなく、実 は元文元年(1736)に実施された貨幣の改鋳と いう金融面からのリフレ政策であった。 吉宗は当初、倹約による財政緊縮を重視した ため、幕府はもとより諸大名も財政支出の削減 という強力なデフレ政策を実行した。その結果、 江戸の経済は深刻な打撃を受け、街は火が消え たようになったといわれている。物価も下落傾 向をたどったが
東日本大震災から一夜明けた3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、決断は揺るがなかった。 「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」。機内の隣で班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員会委員長が伝えた。原発の安全性をチェックする機関の最高責任者だ。 第1原発は地震で自動停止したものの、原子炉内の圧力が異常に上昇した。東電は格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、圧力を下げる作業(ベント)を前夜から迫られていた。班目委員長は「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」と振り返る。だが、着手は遅れた。 首相は官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。 1号機でようやくベントが始まったのは午前10時17分。しかし間に合わず、午後
レアル・マドリーとバルサのライバル関係がピッチ内にとどまらないのは有名な話だが、先日バルセロナで大きく取りあげられたニュースもそんな両都市の関係を表していた。 波紋を呼んだのは、マドリーがスペイン産業観光商務省と締結した観光提携だ。この契約により、マドリーは2013年まで政府当局の公式チームとして、“Visit Spain, Visit Madrid”というフレーズを掲げ、マドリッド市とスペインの観光促進に協力することになった。 フロレンティーノ・ペレス会長や選手が集った締結式で、産業観光商務省のミゲル・セバスティアン氏は「レアル・マドリーは我が国の観光における公式なアイコンとなる」と語っている。すでにサンティアゴ・ベルナベウには広告が掲げられ、クラブは世界に向けマドリッド観光をアピールし始めている。 こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。 NumberWeb有料会員になると続きをお
まだ初動対応は終わっていない、という気持ちもあるけど、11日に震災が起きて一応は約三週間経過したというのもあって、個人的に考えていることの総括の項目出しでもしようと思います。ありがたいことに月刊誌からも寄稿のご依頼を頂戴していたのですが、この手の話題を披露して原稿料を貰うようなのは流儀じゃないのと、いますぐ書いてアップしてしまうことで一刻も早く自分の気持ちに整理をつけたいというのがありまして、ブログで書くことにしました。 最初に書いてしまいますが、理性では「大丈夫だろう」と思っていても、いまだにとても不安です。それも、誰かと分かち合えるような不安ではなく、また、自分の生命に対する不安ではなくてですね。 もし同じような災害に遭って、愛する家内や私の息子たちが冷たい波の下に沈んでしまったら私の人生のその後何を糧に暮らしていくのかとかいう、意味はないけど拭い去れない「たられば」の不安と、私たちが
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