恩師を継ぎ、有名ファンドのマネジャーになる道もあり得た。しかし、我が道を行き、500億ドルの資産を得ることになる─。 バフェットはいかにして“投資の神様”になったのか。「バークシャー・ハサウェイ」誕生前夜が、本人の口から明かされる。 「賢明なる投資家」を読んで以来、私にとっての憧れの人はベンジャミン・グレアムだった。 彼が教授を務めていたからこそ、コロンビア大学ビジネススクールに入りたいと考え、修了後に地元オマハに戻って証券を売り始めた後も彼のことが忘れられなかった。1951〜54年の間、私は証券に関するアイデアをしたためた手紙を彼にしょっちゅう送っては困らせたものだ。するとある日、こんな返事が来た。 「次にニューヨークに来るとき、会いに来なさい」 職場を訪れると、彼は共同経営していた「グレアム・ニューマン」社で働かないか、と誘ってくれた。そこで、私は妊娠4カ月だった妻のスージーと幼い娘を