俳優・三國連太郎と、学者・沖浦和光の対談本。お互いのそれまでの70年余りの生涯を振り返りつつ、被差別民、芸能の始まり、歌舞伎、俳優の地位、かぐや姫、大道芸、寅さん、浅草、永井荷風、などについて語り合う。「芸能と差別」に関する幅広いテーマが取り上げられていて、とても面白かった。 三國連太郎は少し前に亡くなりましたが言わずと知れた大俳優であり、佐藤浩市のお父さん。私が見たことある出演作は、島崎藤村の「破戒」。日本人離れした顔立ちで背も高く、怪演という感じの迫力ある人だなあという印象。本書でも語っていますが、父親(養父?)が被差別部落出身、ご本人は学校やめて家出して中国いったり大阪いったり徴兵逃れしようとしたり香具師まがいの仕事したりと、色々苦労も多く破天荒な人生を歩んでこられた。そしてそれでいて研究者肌なところもあって、差別問題や、芸能の歴史、親鸞、などについてとても詳しく、特に親鸞については
偉大な方だったとしみじみ感じました。 最近、外交問題で「米朝」という文字が新聞に載ることも多く、これを目にする度にこの人を思い出しています。 自分で落語を極めようとしたとき、落語とは何か、という問いが生まれて、ひたすら研究し落語を定義したうえで、自分の落語を極めたのだろうなあ、と思いました。 最後に中高生向けの本と知り、確かに、中高生にもわかる内容、と思いながら、その内容の深さ、濃さに驚嘆したところです。 なるほどなるほど、と頷きながら、落語への視点、視線が大きく変わる本です。 落語好きののみならず、多くの人に読んでほしいと思います。落語のみならず、極める、とはこういうことだ、と感じると思います。
ススキノの便利屋である主人公。謎の女からの一本の電話で依頼を受けたことからはじまり、命を狙われたことで奮起して事件にどっぷりと巻き込まれる、ハードボイルドのテンプレのような話だ。 会話や文体は軽妙だが、扱っている問題は軽くはない。 主人公「俺」は自分なりに他者を尊重している(たまに問答無用で殴ったりもするが)。ススキノの客引きと黒澤明の映画を見て感想を言い合ったり、尾行を頼んだタクシーの運転手との見えざる心理戦に負けたり、ヤクザにブードゥーの呪いの講釈をしたり、耳の遠い人にきちんと話しかけてほめられたり…。 登場するたくさんの人物とちゃんと対話し、台詞から彼らだけの人生が垣間見える。現実世界でも忘れがちな「人に歴史あり」がきちんと描かれていて、これは作者の膨大な他者との会話の蓄積からくるものかなと想像する。 自分でものを考えているなら相手に貴賤は問わないが、権力を嵩にかけたり、汚い手段で利
世界に上手く馴染めない人間、外れた道を生きざるを得ない人間が出てくる、短篇・エッセイ集。「たすけておくれ」「風と灯とけむりたち」「善人ハム」「男の花道」「大喰いでなければ」が好きです。 “肉親や私自身は幻にもちょくちょく出てくるから驚かないが、彼も長いこともじもじしたあげく私の前の方に廻ってきたとき、私でも、私の弟でもないことがわかった。彼は、ぶよぶよぬるぬるの黄色い塊だった。そうして、ひどく孤独そうに見えた。 「いつも一人かい」 「ああ――」 「いつから」 「もう長いことさ」 「淋しいな」 「――面白くないよ」 「カミさんでも居ればいいな」 「――変なこと、いうない」” (「風と灯とけむりたち」より) 自分のいる世界がなにか冷たくて、途方もなくさびしい所だと知っている優しい人間は、他人に対して、その人が同じ世界で震えていると知ったとき、素通りができないのだなと思う。和田誠の解説も
作品紹介・あらすじ 大正時代、黒々と伸ばした髪を切ることは、女をやめるに等しい大胆な行為だった。男性社会を力強く生きると高らかに宣言したモダンガールたちは、次々と洋行したり、恋の炎に身を焦がしたり…。望月百合子、ささきふさ、武林文子、野溝七生子ら42人の強欲な「快女」たちの生きかた、愛しかた。
作品紹介・あらすじ 全米が泣いた奇跡の実話!オスカー映画原作 2003年、アメリカ・ユタ州の峡谷で、アウトドア好きな青年アーロンはロッククライミング中に岩に右手を挟まれ、身動きがとれない状態に陥る。手元にあるほんのわずかな食料と水。それが尽きれば命も尽きる・・・。 1日、2日、3日・・・。絶望と闘いながら、生への情熱を燃やしつづける。 4日、5日・・・体内から水分と力が消え果てていき、朦朧とした意識の中で、彼は愛する家族を想う。「ママ、パパ、愛してる。いつまでも忘れない・・・」 しかし、彼の強靱な生命力は、彼に「ある決断」をする時間の猶予を与えた。想像を絶する、生還のための闘いが始まった・・・・。 アーロン本人がその「奇跡」を、あるときはショッキングにあるときはまるで詩のように繊細な筆致で綴った、感動の記録。 命の力、家族の絆、そして人間の勇気について、ひとりの青年の奇跡の体験が教えてくれ
内容(「BOOK」データベースより) 「食べるために動物を殺すことをかわいそうと思ったり、屠畜に従事する人を残酷と感じるのは、日本だけなの?他の国は違うなら、彼らと私たちでは何がどう違うの?」アメリカ、インド、エジプト、チェコ、モンゴル、バリ、韓国、東京、沖縄。世界の屠畜現場を徹底取材!いつも「肉」を食べているのに、なぜか考えない「肉になるまで」の営み。そこはとても面白い世界だった。イラストルポルタージュの傑作、遂に文庫化。 肉が好きです。特に焼肉が大好き。出来る事なら毎日食べたい。カルビにホルモンにタン。どれもこれも家畜とお肉にしてくれるひとが居て初めて成立する事です。でもそこはかとなく流れる屠畜への蔑視。それが世界共通なのか日本だけのものなのか。とことん潜入取材をしている稀有な本だと思います。「飼い喰い」を先に読みましたがその手前にある世界の屠畜事情のルポです。自分自身目の当りにしたら
エンターテインメントは時代とともに変遷する。本書は、当時の人気作家、ロアルド・ダールに絶賛されているらしいが、スティーブン・キングやジェフリー・ディーヴァーが評価するかといえば「?」であろう。ただ、文体には見るべきものがある、というのは翻訳を通しても分かる。簡潔ながらもユーモアを交えた口語調の筆致。聖書を引用することで得られる警句的な響きと西欧的倫理感への訴え。犯罪的な行為に漂う滑稽さ刹那さ。筆者は「アメリカ」の良心を書き遺そうとしていたと考えて差し支えない。時代背景に触れる読書人もいるが、僕もそれは否定しない。ヴェトナム戦争の泥沼化により、アメリカ国内に反戦運動が広がり、若者が世界的に反体制を叫んだ。本書が世に出たのは1968年。ロンドンでも、パリでも、ロスアンジェルスでも、そして東京ですら、若者がサボタージュし旧体制の打倒を唱えたわけだが、そもそも「古い」ってのはそんなにダメなことなの
カランコロン カランコロン 下駄の音を響かせ旗本の娘の亡霊が愛しい男の元へと通う。 先導する女中の亡霊の手には牡丹燈籠、ぼんやり光る。 三遊亭円朝の口演を速記で写した本です。 読者としては、本を読みながら江戸時代の登場人物像を頭に描くとともに、 円朝の口演を寄席で聞いているように各登場人物の声色や状況説明を噺家の声で想像するという、二重に想像できる楽しみが。 さらに速記術というものの記録としても興味深いですね。たまに矛盾がある(登場人物の年齢とか)は、速記のための記載ミスか?と思われるとか。 「牡丹燈籠」といえば、恋人に冷たくされ死んだ女の亡霊が男の元に通い祟り殺す、 …というような認識だったのですが、通しで読んでみると随分印象が違いましたね。 大元の話である中国の「牡丹燈記」を円朝が江戸時代を舞台に膨らませたもので、主従の忠義あり、仇討あり、人情あり、裏切りあり、母子再会ありと盛りだくさ
(書いているのが2018年9月、この本を読了したのが2018年1月) 仕事などいろいろがバタバタして、読んだ本の備忘録がおろそかに。 「これはでいかん」と一念発起、もっとラフでもいいからとにかく記録していくことに。 落語などを年中やっている、「寄席」のひとつ、「新宿末廣亭」の、「経営者=席亭」の一代記というか自伝というか、自伝風エッセイというか。 北村銀太郎さんは1890-1983、実はもう35年前に亡くなった方です。 「日露戦争だって記憶にある」という年代の人ですから、自伝風エッセイというだけでもちょっと面白い。その上、寄席の経営者、お席亭ですから、これはもう寄席演芸のファンにはなかなかたまらない面白さ。そうでない人には、きっとそれなりのオモシロさ。 昭和の名人たちの、「経営者から見た感じ」とか。戦後のヒロポンの流行とか。 当たり前ですが、寄席演芸のファンであるという以前に、「経営者」で
月刊誌「旅」にて、「日本ふるさと探見」の題で連載されてゐたものをまとめた一冊であります。単行本刊行時に、『日本探見二泊三日』に改題されました。その理由は、宮脇氏によると「一泊や三泊もあるが、大半が二泊三日なので」ださうです。かういふアバウトさは嫌ひではありません。しかし、そもそも改題の必要はあつたのか、元の題でも良いぢやないかと勘考するところです。 本書の概念は、単行本の帯にある惹句によると、「ねらい目は、B級旅行地」ださうな。B級なになにといふ言ひまはしは余り好きではないけれど、まあ言はんとするところは分かります。 即ち、旅行ガイドには必ず載つてゐて、大ホテルが林立し観光バスが雁行する有名観光地を仮にA級とするならば、逆に秘境と呼ばれ、交通不便で訪問には若干の体力と忍耐を要する、知る人ぞ知る穴場をC級だと思ひなされ。「観光地にランク付けするな!」と叫ぶそこのお方、ごもつともな意見ですが、
単行本の『遅読のすすめ』は、2002年に刊行されています。 したがって、著者の山村修さん(1950~2006年)が、52歳位の時に書かれたようです。 著者は、56歳で病死されたとのこと。 当時は速読ということが流行だったというか、情報を得るためには多くの本を読む必要があったというか、今にして思えば、そういう空気があったのは確かです。 2002年というと、私が41歳の時になりますが、当時はインターネットで情報を得るというのは、一般的ではなかったように思います。 さて、この本では、最初に速読派?として、福田和也さんと立花隆さんが登場しています。 ちょっと、両氏を見てみましょう。 福田和也さんは、1960年生まれなので、私と同世代ですか。 立花隆さんは、1940年生まれなので、現在80歳になられます。『遅読のすすめ』が刊行された時の立花隆さんの年齢は、62歳位ですか。 37頁まで読んで、図書館に
『なぜこんなに生きにくいのか』南直哉氏 著者は曹洞宗大本山永平寺で20年修行し、その後別の寺の住職をされている方。著者がいうとおり「仏教の教え」や「仏教のすすめ」の記述はほとんどありません。それよりも、世の中、他者そして自分の関係性をどのようにとらえ、考えるのか?の示唆を中心としています。 静けさ ★★★★★ 私は?という問い ★★★★★ 解放感 ★★★★★ 【購読動機】 『なぜこんなに生きにくいのか』。このタイトルを読んで、手にとったのでした。当然、自分のこともあるかもしれません。また、日常で流れる事件、事故について頭をよぎったのかもしれません。 書とは、執筆者の考え、価値に触れる機会と考えています。また、自身と比較し「どうよ?」と考える機会とも考えています。それを作ってみたかった・・・というところです。 ―――――――― 【読み終えて】 ひとり静かに書の世界へ入ることができました。最
うわぁぁぁ〜 面白かった!!! 本格ミステリーは頭使って注意深く読むから消耗するけど、読後感爽快! 電車内での殺人事件。 ニコチンの塗られた無数の針が刺さったコルク球をポケット内で握り毒がまわって死亡。 混雑する電車内で、目撃者もいない。 警視は、元シェイクスピア俳優のドルリー・レーンに捜査協力を依頼する。 私、エラリー・クイーン初挑戦なんです。 もっと早くに手をつけても不思議ではなかったのでは?と自問w 十角館を読んだ時に、登場人物のあだ名に使われている全作家の作品読みたいって思っていた。 ひょっとして、各作家の作品の特徴やクセのようなものもヒントとしてあったのではないか?と疑ってもみた。 何にせよ、ミステリー好きと言うからには絶対読みたいなと、手始めにTwitterのフォロワーにお薦めされた『Xの悲劇』を手に取りました。 ドルリー・レーンがめっちゃカッコいい。 白髪の60歳のおじさんな
金井美恵子入門として、とりあえずエッセイを読んでみました。 もう一文一文、ぐるーーっと大きな円を描いてようやく元の話題に戻ってくるものだから「これ、小説もこんななの!?」とちょっとびびってしましました。 一文がやたら長くて、でも谷崎潤一郎みたいな長さとは全然違って、なんかもうどうなってんだ、結局何が言いたいんだ、と分かんなくなりそうなこともしばしば。 島田氏をやたらめったら叩いているので、島田ってどんな人なんだ、読んだことないから分からんと、Wikiをぽちりしてみたら、私好みのダンディが現れて「あら、良いじゃない♡」となってしまいました。小説に興味はないですが。 とても教養がおありで頭の良いおばちゃんなんでしょうが、近くにいたらすんごい鬱陶しそう… とは言えエッセイと小説はまた別物なので、小説を読むのが楽しみです。 12.02.01
著者、内田百閒さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。 內田 百閒(うちだ ひゃっけん、1889年〈明治22年〉5月29日 - 1971年〈昭和46年〉4月20日)は、日本の小説家、随筆家。本名榮造。別号は百鬼園(ひゃっきえん)。 夏目漱石の門下生の一人で、夢の光景のように不可解な恐怖を幻想的に描いた小説や、独自の論理で諧謔に富んだ随筆を多数執筆し、名文家として知られる。 鉄道に関しては「目の中に汽車を入れて走らせても痛くない」というほど愛しており、国鉄職員であった「ヒマラヤ山系」こと平山三郎をお供に、全く無目的に、ただひたすら大好きな汽車に乗るためだけの旅を実行、それを『阿房列車』という鉄道紀行シリーズにまとめた。のちに『南蛮阿房列車』を書いた作家の阿川弘之、鉄道紀行作家の宮脇俊三も、自らの先達として百閒を挙げている。 81歳にて亡くなられていますので、
久々に夢中になったノンフィクション!これは面白い!! 野球を少しでも知っているならば、一読の価値アリです。 著者マイケル・ルイスは、 「ライアーズ・ポーカー」でお馴染みのベストセラー作家です。 舞台はメジャーリーグ、オークランド・アスレチックス。 「アスレチックスの選手年棒総額が、 ヤンキースの年棒総額の3分の1以下であるにもかかわらず、 なぜ勝利数はほとんど変わらないのか??」 筆者の問いかけはここから始まっています。 アスレチックスの成功の原点は、古い野球観念に囚われることなく、 体系的な科学分析を通じて安くて優秀な人材を発掘してきたところ、 そして、その新しい観念を実行に移したGMビリーのリーダーシップにあると感じました。 打率よりも出塁率、盗塁・バントはするな…etc 一見するとそれが正しいと、なかなか信じることができません。 最後に、解説から一部抜粋します。 マイケル・スイスが書
「この春、インフルエンザが流行した」とか「フランス行ったらストライキで困った」とか「麻布十番人多すぎ、いや道玄坂も」とか、ん?現代?なんて思わず思ってしまうけれどこの岡本綺堂、生まれは明治。これも明治末期から昭和初期くらいのエッセイです。 「何でも見てやろう」がバックパッカーの合言葉になってたこともあるようですが、生まれた時代によっては何でも見てやろうどころじゃない。綺堂の記憶には西南戦争時の暴動、日清戦争、日露戦争(従軍記者として参加)、一次大戦直後のフランス(しかもヴェルサイユ会議の年)、関東大震災…。不謹慎だけど生まれたのが当たり年なんでしょうね。「何でも見てやろう」の連中なんてどんなに悔しくても敵わないかと。 西郷関連商品が大ヒットしてたことや、フランスの元戦場でドイツ兵のヘルメットを模したお土産が売られていたこと、日清戦争と日露戦争での従軍記者の様子(日清戦争では子規も従軍記者だ
江戸と明治初期の様子が垣間見られるのが楽しい。 台詞のテンポが良いとぶらりとその時代に迷い込んだ気持ちになる。 半七シリーズを久々に読んだ。 不思議と半七の活躍より事件の印象が強い。被害者や犯人が半七より生き生きしてるというか。 一見、怪談?という事件の裏に実は、という話がとくに好きでワクワク読んでる。 それが岡本綺堂が怪談譚の得意な作家だからというのに今回ようやく気づく。北村氏と宮部氏の対談で。 たぶん読んでると思うんだけど半七の始まりの話も新鮮だった。まだ「わたし」が10代なんて。 「奥女中」鬼姫みたい。そうそう「ぶな屋敷」みたいでドキドキした。 あと「筆屋の娘」。これ糸屋で同じ内容を読んだ気がする。半七へのオマージュ?なんで読んだんだっけ? 勘違いなのかなあ。気になって仕方がない。
再び、三浦綾子氏の作品だ。著者の作品は、ものすごく深いとこまでを知っているという訳ではないかも知れないが、押し付けがましくも無く、実体験に基づいていたり、読むほうからするとすんなり入りやすい。 イエスはいつも弱い人々に目を向けていた。イエスのいちばん嫌いなのは、自分を正しいと思っている人間達であった。心の中でいつも「自分は大した者だ。学はある、金はある、そして人に尊敬されている」と数え上げては誇っている人たちである。イエスは誇ることの出来ない人たちには限りなく愛をそそぐが、誇り高ぶる人間には容赦ないきびしさを持っていた。考えてみると、私たちは神の前に立ったとき、本当に誇るべきものをどれだけ持っているのだろう。神の支配する天国に入れてもらうため、私たちは一体どんなものを携えることが出来るだろう。金袋は天国では一文の価も無い。地位があるからといって、先に天国の門を通してもらうわけには行かない。
98 フザケに徹した政治家、タレントの顔面ウォッチング。全体に辛らつ味を増した92~93年のコラム。
静かなる気骨の人、吉村昭の穏やかな声が聞こえるエッセイ集。(親本は平成17年刊、平成20年文庫化) ⅰ 日々を暮らす ⅱ 筆を執る ⅲ 人と触れ合う ⅳ 旅に遊ぶ ⅴ 時を歴る 著者は、史伝小説の作者である。小説の中で自分を出すということが無い分、エッセイでは、人柄が溢れている。「資料の処分」は、死後のことを考え、不要となった資料を処分する話であるが、氏の考えは考えとして、もったいなく思った。小説家にとって、小説を書いてしまえば、無用の長物というのは分かるが、何が元ネタなのか、追跡が可能な方が後世のためだと思う。(とはいえ、一個人にそこまで求める事は酷であるが) 「小説に書けない史料」の話も面白い。江戸時代の飯田藩で、初めて火炙りを行った時の史料を巡るエピソードである。罪人を固定した縄が切れて、失敗しやり直したお話であるが、衆人環視のなか「大いに体裁悪かりしと」と記録を綴った役人の心境はい
著者マイクル・コナリーの名は、ブロ友から聞いて知っていた。 とても面白く、強くお薦めの作家らしい。 シリーズだそうだが、どれから読むのがよいかと聞いたら、 「やはり書かれた順に」 ふむ、なるほど。 しかし、これが見つからない。 ようやく、第1巻を探し当てた。 マイクル・コナリーのデビュー作にして、ボッシュ・シリーズの第1巻である。 ハリー・ボッシュは、ロサンジェルス市警ハリウッド署の殺人課刑事である。 彼のもとに事件がやってきた。 パイプの中に、遺体が見つかったという。 薬物中毒者が打ちすぎて死んだのだろうと、誰もが考え、ぞんざいに片づけようとした。 けれども、一人ボッシュは、現場に不審な点を見つける。 彼は確信した。 これは殺人だと。 ボッシュには、ヴェトナム従軍経験がある。 トンネル・ネズミとあだ名される、トンネル工作兵だった。 地下トンネルの中に潜り、敵兵を倒したり、罠を仕掛けたりす
大正14年8月27日、山形県生まれ。昭和25年東京大学文学部英文学科卒。作家。日本芸術院会員。大学卒業後、昭和40年まで國學院大學に勤務。小説・評論・随筆・翻訳・対談と幅広く活躍。43年芥川賞を、47年谷崎賞を、49年谷崎賞・読売文学賞を、60年野間文芸賞を、63年川端賞を、平成3年インデペンデント外国文学賞を受賞するなど受賞多数。平成23年、文化勲章受章。著書に『笹まくら』(昭41 河出書房)『丸谷才一批評集』全6巻(平7〜8 文藝春秋)『耀く日の宮』(平15 講談社)『持ち重りする薔薇の花』(平24 新潮社)など。 「2012年 『久保田淳座談集 暁の明星 歌の流れ、歌のひろがり』 で使われていた紹介文から引用しています。」
大正14年8月27日、山形県生まれ。昭和25年東京大学文学部英文学科卒。作家。日本芸術院会員。大学卒業後、昭和40年まで國學院大學に勤務。小説・評論・随筆・翻訳・対談と幅広く活躍。43年芥川賞を、47年谷崎賞を、49年谷崎賞・読売文学賞を、60年野間文芸賞を、63年川端賞を、平成3年インデペンデント外国文学賞を受賞するなど受賞多数。平成23年、文化勲章受章。著書に『笹まくら』(昭41 河出書房)『丸谷才一批評集』全6巻(平7〜8 文藝春秋)『耀く日の宮』(平15 講談社)『持ち重りする薔薇の花』(平24 新潮社)など。 「2012年 『久保田淳座談集 暁の明星 歌の流れ、歌のひろがり』 で使われていた紹介文から引用しています。」
大学を卒業後、ヒッチハイクを繰り返しながらアラスカへ辿り着いた青年は一人で荒野へと足を進める。結果、彼は荒野に置き捨てられた廃バスの中で孤独死し、アメリカ中を震撼させることとなる。 いったい彼はなぜ荒野へ足を運んだのか?そして荒野での廃バス生活の中で何が彼を孤独死させる要員となったのか?極めてミステリアスなこの出来事を巡って描かれるノンフィクションが本作である。 アメリカ出身の稀代なるノンフィクション作家、ジョン・クラカワーの出世作である本作では、若かりしクラカワー自身の姿が孤独死した青年に重ね合わされている点が魅力的である。かつて、若きクラカワー自身は登山を通じて自己のアイデンティティを確立しようともがいていた。その姿は孤独死した青年と重なり、”荒野への冒険を通じて自己のアイデンティティを証明する”のが青年の冒険の目的だったのではないか、というのが冒頭の問に対するクラカワーの仮説である。
わたしのブクログは「分速2ページと、ちょっと」(※文庫本)というタイトルになっているが実際はもうちょっと速くなっているかなあと思う。でもめんどうなので変えないでいる。 速読というほどじゃないけど、すばやく読むことを妨げるもの、それが方言。文章を脳内でいちいち音声化しないことが、本を速く読むコツらしい。しかし方言は、その独特のイントネーションをつい想像してしまう。 とくに、われらが愛媛弁(伊予弁?)というやつは、なじみ深いだけにリアルに再生される。それがどうにものんびりした方言なので、なおさら読むスピードは遅くなるわけだ。まあそれが正しい楽しみ方だと思っているので、一向に構わないのだけど。 愛媛弁満載の小説『てんやわんや』は、愛媛県南部の旧岩松町(その後津島町となり、現在は宇和島市の一部らしい)をモデルにした「相生町」が舞台となっている。敗戦直後の混乱のさなかでものどかで、人々も純粋だ。なか
いやぁ~~軽く鬱展開の終わり方でしたヽ(;´Д`)ノ もう最初から文章が難解で何回読み直しても意味不明で。 読んでて全然おもしろくない。 中身が入ってこない。 電車で読んでて気づいたら寝てる。 このパターンの繰り返し。 半分くらい行ったところですかね。 ようやく色恋ネタだと腑に落ちておもしろくなってくのって。 けど特にあれこれ二人の様子が展開されるわけでもなく。 語り手のあくまで淡々としたストーリー描写が続くわけです。ハイ。 というのもこれはフィッツジェラルドさんの1925年の作品。 第1次世界大戦後の上流階級の道徳的退廃を描こうとしているらしく、やはり時代も国も違うと感情移入しづらいですね。。。 ただしこれは翻訳の難しさも加わってるらしく、ディズイさんの言葉遣いとかけっこうあばずれっぽくてちっとも上流階級のお嬢さんと思えない訳し方。 その友人のゴルフ選手の不正?とか。 変な描かれ方ヽ(;
ついに佐藤優さんのデビュー作を読みました。 これで佐藤さんの本90冊読破! 「どれか一冊、人に薦めるとしたら?」ときかれたら この本をあげます。 〈「新聞は○さん(田中女史)の危うさについてきちんと書いているんだけれど、日本人の実質識字率は5%だから、新聞は影響力を持たない。ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく。残念ながらそういったところだね。その状況で、さてこちらはお国のために何ができるかということだが…」とある外務省幹部。〉 私がまさにその通り! 田中真紀子さんが小泉純一郎さんに更迭されたとき、ワイドショー見て「かわいそう。小泉さんひどい」と思ったものです。 それと鈴木宗男さんも、ワイドショーで見ました。 ルックスがアホの坂田さんに似ていることもあって、 おかしな政治家なのだろうと思っていました。 そして当時、宗男さんと同時に佐藤優さんが記者に追いかけられていました。 た
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