2018年9月16日のブックマーク (4件)

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    banban
    banban 2018/09/16
    前半あってのさおりたんだよね。お幸せに。
  • [ま]僕と世界 @kun_maa - [ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

    スポンサーリンク 僕の世界は僕が死ねば消えてしまう。 僕の世界は僕だけのものだ。 積み重ねた記憶や経験や感情やそんなものたちでできている認識のフィルターは僕固有のものだから僕が死ねば僕が見て感じて生きている世界は消滅する。 もちろん僕だけがそうなのだというわけでは全然なくて全ての人がひとりひとり違う自分だけの世界に生きているのだ。 あなたが見ている世界と僕が見ている世界と彼や彼女が見ている世界は全て違う世界。 僕たちはひとつの大きな世界が歴然と存在しているとなんとなく思っている。 自分が感じている世界は他の人たちと共有されているものだとなんとなく信じている。 でもそんなものは幻想なのかもしれない。 幻想という言葉を使ったからといってそこに何も存在しないという意味ではない。 そこには確かに何かが存在しているのだけど僕たちが認識している事物と実際に存在している事物との間には乖離がある。 例えば

    [ま]僕と世界 @kun_maa - [ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)
    banban
    banban 2018/09/16
    “だから世界はひとりひとりが認識している異なる世界の集合体なのだと思う。” 最近わたしもよく同じような事考えてる。バイト帰りの電車の中とか。世界は自分のもの。
  • なぜコンビニの何倍もの数の神社があるのか - しいたげられたしいたけ

    訳あってこの半年あまり、週末の半日ほどを費やしてお百度参りをしていた。あくまで勝手にやっていたことであり、別に用事があるときには遠慮なく延期していた。どうせかつては「深夜の怪しいジョギング」と称してジョギングをしていたし、足を痛めてからはウォーキングに切り替えていた。私のやることは何にせよ、あらゆる不純な動機を総動員して行動の契機としている。 2週間ほど前に、お百度を続ける理由がなくなった。さてどうするかと考えて、ウォーキングを再開しようと思った。 どんなことであれ、一時期中断していた習慣を再開するには手間がかかるものだ。ウォーキングの時間やコースをどうするかなど、ちょっとしたことで決めなければならないことが多い。ルーチン化する前に、以前から確認したかったことがあるので、それを済ませることにした。 お百度をやっている間は、いろんな考えが頭を通り過ぎて行った。妄念の類である。 その一つが、「

    なぜコンビニの何倍もの数の神社があるのか - しいたげられたしいたけ
    banban
    banban 2018/09/16
    “私のやることは何にせよ、あらゆる不純な動機を総動員して行動の契機としている。” でも、粋だったり素敵だったりするんだよな。しいたけさんのは。
  • 私は家族になれない - ぼちぼち、まずまずで

    私が物心つく頃には両親の喧嘩はひどくて、まぁどんな家庭にも喧嘩の1個や2個エピソードはあるから比較しようがないけれど、小学校6年生の時には、お母さんからお父さんの愚痴を聞くし、お父さんからお母さんの愚痴も聞いていた。 どっちの味方とかも当に無くてどちらが可哀想とか相手を思いやる気持ちもなかった。 いつからか、お母さんにも父以外の男がいてお父さんにも母以外の女がいて、なぜか私はお母さんとお父さんの恋の相談相手になった。 私の中で、お母さんでもお父さんでもなくなった日だ。 私が専門学校に通い始めてから3つ下の妹が家出をしはじめた。 連日不倫して家を空ける両親が家出する妹に激怒していて笑わせんなよと思ってた。 妹は早くに結婚をして家を出た。 不倫は飽きたのか、毎晩家に両親がいて、それは別にどうでもいいけれど、顔を合わすたびに両親が喧嘩し、家の中はめちゃくちゃ。警察沙汰になることもあった。 私は

    私は家族になれない - ぼちぼち、まずまずで
    banban
    banban 2018/09/16
    いいよ。いいよ。あんずちゃんは自分の幸せだけを目指して。それでいいよ。