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2020年8月21日のブックマーク (4件)

  • ライブレポート『LIVEWIRE くるり in 京都磔磔』(2020年7月11日)

    はじめに 私のくるりファン歴は2003年〜くらいだろうか。高校時代、軽音部の後輩が貸してくれた『TEAM ROCK』を宿したMDがきっかけだったと思う。 大学生になって、くるりのリリースを追ってCDをよく買っていた。 卒業して、自分のお気に入りの音楽がだいたい出揃った気にでもなったのか、音楽を掘るのは「なんとなく」にしてしまっていた。 私はくるりが大好きで、心のルーツミュージックだという思いは変わらなかったけれど、熱心にリリースを取りこぼさず追っていたかつての私はいつのまにか遠くへ行っていた。結婚したし、子どもができて音楽に没頭できる時間が減ったのもあるかもしれない。 最近になって、くるりの岸田繁がTwitterをやっていることを知った。フォローすると、いろいろ彼らの仕事に関する情報が流れてくる。それらを受け取っているうちに、かつての「くるりリリースフォロー」に熱心だった私がいつの間にか近

    ライブレポート『LIVEWIRE くるり in 京都磔磔』(2020年7月11日)
    bandshijin
    bandshijin 2020/08/21
    オンラインでライブを楽しむ。大ファンのくるりでその初めての体験ができた。生のライブとも動画のアーカイブとも違う、新しい体験。それが非常によかった。いかにくるりがパイオニアかを改めて思う。
  • 猫も杓子もあいみょん 『マリーゴールド』視聴メモ

    も杓子もあいみょんである。 なんて言ってみたくなるくらいに圧倒的な存在感を示すあいみょん。 流行るものに私はうとい。集団のフィーバー、社会の熱をずっとうしろから見守る私だ。 まったく知らないのもどうかと思って、だいぶ前にあいみょん『マリーゴールド』を一度聴いてみた。その中性的な声に気骨を感じた。 私はandymoriや小山田壮平に影響されている。あるとき、あいみょんも彼らの音楽から影響を受けたひとりだとネットで見た。それで、それまで「ポップ優等生」「期待の巨星」のようなものとしてなんとなく「現実離れ」した存在だったあいみょんが、私にとっても現実味のある存在になった。私は別々の物事どうしが自分の中で結びつくと、ようやく関心を持てるらしい。 そんな頃に、このツイート。 くるり・岸田繁と小山田壮平のミュージシャンシップから目が離せない。ただでさえ私はくるりの大ファン。そこに、私の関心がちょうど

    猫も杓子もあいみょん 『マリーゴールド』視聴メモ
    bandshijin
    bandshijin 2020/08/21
    あいみょん『マリーゴールド』の歌詞は音楽として耳に入ってくるように磨かれている。中性的で独特な声で、単語の切り方が非言語的。
  • 音の肉体性 米津玄師『STRAY SHEEP』を聴いて

    バックグラウンド「ハチ」と『アイネクライネ』 米津玄師を私がはじめて認識したのは東京メトロのコマーシャルに『アイネクライネ』(2014)が使われていたのを耳にしたときだった。爽やかでエモくてポップで、バンドの音を基調にした新しい才能が出てきたなと思った。私が好む耳触り、サウンドの趣味を押さえていた。ボーカルのメロディラインやコード選びのセンスが独特で、コマーシャルで流れた断片のみでも存在を印象づけた。 それより前から、米津玄師はボカロP(ボーカロイド・プロデーサー)「ハチ」として、耳の早い人の心をすでにとらえていた。このへんの動きを耳のトロい私は知らなかった。私は人の声や生の楽器由来の音に強いこだわりがある。ボーカロイド音楽の隆盛をどこか遠く冷めた目で見ていた。 米津玄師の独特なメロディの節回し。それは、彼がボーカロイドで音楽をつくる活動をしたバックグラウンドが醸成したと私は考える。突飛な

    音の肉体性 米津玄師『STRAY SHEEP』を聴いて
    bandshijin
    bandshijin 2020/08/21
    打ち込みから生音まで用いて幅広く多彩な曲。それでいて、フィジカルの「音」への希求を感じる米津玄師のアルバム『STRAY SHEEP』。順番に聴いてラストナンバー『カナリヤ』に至ったときそれを確信。
  • 肯定の讃歌 槇原敬之『どんなときも。』

    肯定は愛 “どんなときもどんなときも 迷い探し続ける日々が 答えになること僕は知ってるから”(槇原敬之『どんなときも。』より引用、作詞・作曲:槇原敬之、1991年) 私は歌をつくる。それをライブでやったり、録音したりする活動をしている。歌をつくる動機になるものがある。それは失恋かもしれないし、幸福や愛情かもしれない。なかでも、「自己肯定」はたびたび歌になる。 私だけじゃないだろう。さまざまなアーティストが、ミュージシャンたちが、自己肯定を歌にしてきた。それは「あなたへのメッセージ」でもあり、「あなた」の肯定でもある。 Youのところに、自分を代入するか、あなたを代入するか。それによって、自己肯定にもなるし他己肯定にもなる(「他己肯定」なんてことばあるんだろうか?)。私はそういう肯定の歌が好きだ。この世のあらゆるラブソングの中でも最も真摯なものだと思う。 なにげなく「ラブソング」と形容した。

    肯定の讃歌 槇原敬之『どんなときも。』
    bandshijin
    bandshijin 2020/08/21
    マッキーの『どんなときも。』を改めて味わいました。じんと来ました。