◆◇◆小説をめぐって(十四)第二期一回目◆◇◆ 第二期のために書きとめて壁にピンで止めたメモのようなもの 「新潮」2005年3月号 『ミシェル・レリス日記1・2』(千葉文夫訳 みすず書房)の一九四八年二月二十一日に全体でこれだけのことが書きとめられている。 わたしにとって(そしてまた確実にほかの多くの人々にとっても)、年をとったということは別にせよ、この数年間に、いかなる点で事態の悪化があったのか。 陰鬱な気分に浸りこんだ自分を感じるが、いまはこの気分に特別の価値をあたえることができない。 世界は何らかの点においてもっと生きるにふさわしいものに向かって動いており、——仮に個人的にはそこから利益を得ることはないとしても——それゆえに自分らの行動はこのような動きに組み込まれることで意味が生じるのだとはもはや考えきれない。 作家、画家、音楽家の日記を私は何冊も持っているがいままでどれも拾い読みし
以前、イヌイットつまりエスキモーの研究者が書いたこんな文章を読んだことがある。 「私たちのように都会に住む現代人には、イヌイットの人々の生活は一週間として送ることができない。狩猟の技術は言うに及ばず、排泄の仕方とその処理にしても私たちには大変な負担だ。私たちは彼らのことを簡単に『劣っている』と考えがちだけれど、彼らの方が私たちよりもはるかに優れている。」 エコロジーがブームになる直前の一九九〇年に読んだ文章なので、細部の正確さとなると心許ないが、意味としてはこういうことだった。最後の「優れている」は、もう少しやんわりと「自然について多くのことを知っている」だったかもしれないが、いずれにしてもこの研究者が言いたかったのは、都会に住む現代人は、イヌイットのことを簡単に「遅れている」とか「劣っている」という風に考えがちだけれど、生身のからだで過酷な自然と向き合う技術・能力・体力という面では、なま
◆◇◆HRI生き方リサーチレポート◆◇◆ vol.5『明日に向かい、いまを生きる同時代人たち』 2005年4月1日 ヒューマンルネッサンス研究所発行 http://www.hrnet.co.jp/ 「世代像がないから人生と向き合える」 まず最初に、自分がどういう世代なのか、ということなのだけれど……、一九五六(昭和三十一)年の十月に生まれた私にとって、小学二年で東京オリンピックがあって、中学二年で大阪万博があって、大学に入ったときには学生運動は終わっていた。バブルのときには三十歳前後で職場で一番働くポジションにいて、やたらと大事にされて礼儀も知らないバブル採用の新入社員に「なんだ、こいつら」という気持ちを持っていた。 いまは世代論が流行っているけれど、私の学年はどの世代にも属していなかった。というか「世代」というものを持っていなかった。私が中学、高校の頃、世代というのは「戦中派」とか「焼け
「私」について哲学できるのか? ボクが既存の「哲学」に対してどうしても違和感を感じるのは、ボク自身の問題を扱うことができないことです。現代の哲学の基礎的な方法論である現象学をつくったフッサールによれば、ふつうのボクたちの経験は「自然状態」であって、それを現象学的還元によって抽象化し、認識の枠組を研究することが哲学だということです。つまり、中味ではなく、形式、というわけです。 近代哲学の出発点とされるデカルトの「我思う故に我あり」を考えてみましょう。そのときの「我」は、このボクであるとともに、他の誰でもいい「我」なのです。どの「我」でもない「我」という奇妙なものです。それが哲学の普遍性を保証するというのです。 でも、この普遍性は行き詰ります。近代的な哲学観にもとづいて、それを分かりやすく啓蒙している方に池田晶子さんがいます。その池田さんの近著に『人生のほんとう』(トランスビュー、2006)に
私はほんとうに私なの? この前、池田晶子さんのことに触れました。そこでも書きましたように、池田さんが自分自身のことを考えようとしたら、とたんに哲学が破綻してしまうようです。どうもそのあたりに、池田さん個人の問題ではなくて、哲学そのものの問題があるのではないか、とうのがボクの考えです。 その際、それでは、単純に「ボク」とか「私」という何かが特定され、動かされない実体があるかというと、そうでもありません。ラッセルに、個体を特定して記述する記述理論というのがあります。と言っても、詳しいことは忘れてしまいましたが、要するに、個体の属性をすべて列挙すれば、個体が特定化される、というようなことだったと思います。けれども、そのように個体の属性をすべて列挙することなどできるわけもありません。 ラッセルの先駆者であるフレーゲという哲学者の理論はもっと単純で、ある特定の個体を指し示す意味はいろいろあっても、そ
保存データ ぶんまおの更新は終わりましたが、過去のデータはそのまま記録としてしばらく残します ごあいさつ1999.1.26 ちょっとしたえっせー2008 ちょっとだけ哲学してみる2007 ちょっとしたえっせー2006 ちょっとしたえっせー2005 ちょっとしたえっせー2004 ちょっとしたえっせー2003 ちょっとしたえっせー2002 ちょっとしたえっせー2001
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