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ブックマーク / www.k-hosaka.com (12)

  • 寝言戯言 11

    俳優の池部良が亡くなった。一九一八年生まれだから九十二歳だった。言わずと知れた、と言っても若い人たちは知らない人の方が多いかもしれないが、少なくとも昭和のうちにものごころついた人たちにとって、池部良は昭和を代表する映画俳優だったわけだが、私とにとってはここ二、三年、毎月一度は話題にのぼるひじょうにホットな現役の書き手だった。 「銀座百点」という、銀座の名店を紹介するPR誌というのかなんというのか、とにかくそういう月刊の冊子があり、池部良はそこで毎号「銀座八丁おもいで草紙」というエッセイを連載していて、これがもうメチャクチャおもしろい! それで池部良のを調べてみると『そよ風ときにはつむじ風』という一九九〇年に出版されたを皮切りに、続々出てくる。 「日文芸大賞も受賞するほどのエッセイの名手であり、」みたいな紹介文もあるが、賞なんかとっていてもつまらないエッセイはいくらでもある。池部良の

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    bartleby0911 2010/12/24
    池部良はそこで毎号「銀座八丁おもいで草紙」というエッセイを連載していて、これがもうメチャクチャおもしろい!
  • 寝言戯言 6

    このあいだ小学校の同級生三人と会って、鎌倉で酒を飲んだ。卒業は一九六九年三月だから四十一年ぶりだ――と、会うきっかけとなった今村は思っていたのだが、今村とは高校の頃に何度か鎌倉駅や横須賀線の中で会ったり、一度は家に来たりもしたが、今村はそんなことはすっかり忘れていた。 通販のカタログ雑誌の編集者が去年の秋、 「保坂さん、何かお奨めのギフト品はありませんか?」と言ってきた。私はべ物にはほとんどこだわりがない。あれが旨い、これはいいんだけどちょっと……みたいなことを言うのはさもしい気がする。「このあいだ誰々の結婚式に出たんだけど、料理がよくなくてさあ。」なんて、おまえは結婚のお祝いに行ったんじゃなくて飯をいに行ったのかと言いたくなる。勤め人時代、同僚がよく「××部の△△課長がちょっと相談があるって言ってるんだけど、おまえも来てくれよ。」と言ってきて、私が面倒くさいからイヤだと答えると、

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    bartleby0911 2010/09/21
    Confusion will be my epitaph. という、キング・クリムゾンの歌詞があるが、さしずめ私は Friction will be my epitaph. 「私は軋轢を墓碑銘としよう」だ。
  • 遠い触覚  第一回

    ◆◇◆遠い触覚  第一回 「いや、わかってますよ。」◆◇◆ 「真夜中」 No.1 2008 Early Summer 小島信夫の代表作は『別れる理由』ではなく、『私の作家遍歴』と『寓話』だ。正確なところはいまは調べるのが面倒なので調べないが、『別れる理由』は一九六八年から八一年まで約十三年間『群像』に連載され、『私の作家遍歴』は七〇年代半ばから八〇年まで『潮』に連載され、『寓話』は八〇年から八五年まで、はじめのうちは『作品』に連載され、『作品』が廃刊になったあとは『海燕』に連載された。小島信夫はこの時期、他に『美濃』を七七年から八〇年まで、『菅野満子の手紙』を八一年から八五年まで文芸誌に連載した。 この中で『別れる理由』ばかりが長さゆえに有名になってしまい、『別れる理由』はその評判のために意外なことに三刷か四刷まで版を重ねているのだが、内容のとりとめのなさにたぶんみんな辟易して、他のにま

  • nikkei-5-13

    中井久夫は精神科医でもたくさん出しているが、意外なことには最近まで知らなかった。しかし1年ほど前から知り合いの70代の人がどうやら認知症らしいということになり、私が中井久夫を見せたらいきなり熱中して読みはじめた。そしたら今度は8月に22歳だったのペチャが死んだ。それ以来、20年間、夫婦のように、恋人のように、兄妹のように、べったり寄り添って生きてきたジジがものすごく不安定になった。ジジもまた高齢による体調不良は当然あるが、その不安定さはペチャがいなくなったことと関係しているとしか見えず、は中井久夫のをいっそう熱心に読むようになった。 「に精神医学か? も高尚になったもんだ」などと呑気なことを言ってる場合ではない。人間にあるものは基的にすべて犬にもある。人間は犬より少し知能が大きくなり、そのかわり感覚がだいぶ鈍くなった。だから体調不良は人間より犬の方がずっと深刻なのだ。

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    bartleby0911 2010/06/22
    中井久夫読んでみたい。
  • nikkei-2.4

    紙の1月18日週の「人間発見」欄に5回にわたってインタビューが掲載された、元世界銀行副総裁の西水美恵子さんという人を私はまったく知らなかった。専門が英文学のも全然知らなかった。インタビューを読んで、二人で西水さんの人生に感動した。いくら畑違いとはいえ、こんなにすごい人を知らなかった自分達を恥じたが、まんざら私の無知ばかりが悪いわけでもなく、日という社会は、海外にいてなお日に直接的な利益をもたらしてくれる人でないと無視する傾向があるように思える。 しかし海外に行きっきりになって、日とまったく関係なくその土地や組織で成果をあげる人ほど、ある意味、日人を勇気づける人はいない。いや、日人を勇気づけるのでなく、規制の枠と闘っている人を勇気づけるのかもしれない。この二つはえらい違いだ。いずれにしろ、西水さんのような人の存在を知って凹む人はめったにいない。 その西水さんの記事の2回目、進路

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    bartleby0911 2010/05/07
    論理的な積み上げだけではどうにも解決が得られないとき、人は風景から答えを与えられる。論理的な積み上げだけで得られる答えなど、普通サイズの人間の枠を一歩も出ない。  哲学者ニーチェに「永遠回帰」の思想が
  • 寝言戯言 2

    人が木や草花に関心を通り越して過剰とも見える思い入れをするとはどういうことか。 四、五年前、うちの最寄り駅の私鉄の駅舎がロータリーも含めた大々的改装工事をしたとき、ロータリーのまわりに立派な大きなケヤキが七か八か、あるいは十ぐらいも生えていた。一人の初老の女性が駅員をロータリーに呼び出して、このケヤキを伐らずに残しておくように、抗議だか懇願だかしていた。そのケヤキは保存樹木として残しておくようにという、あまり大がかりではなかったと記憶するが、とにかく住民による運動もあり、結果、すべてではなかったが、五か六、ケヤキは残されることになったが、あのときの女性はその運動とは別に、彼女個人の意志としてやむにやまれぬ訴えとして、ケヤキを伐らないでくれと言っていたように見えた。 と二人で少し離れたところまで散歩したとき、車一台がかろうじて通れる程度の道の三分の一くらいを占めていた太い、これも

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    bartleby0911 2010/05/07
    だいたい人が苦しむのは、人間存在の本質にかかわる話を日常次元や金銭次元の話で切り崩されるときだ。切り崩す側は人間存在の本質にかかわる思慮をすでにとっくに日常次元のことに明け渡しているから、自分が放棄し
  • 『夜戦と永遠』佐々木中氏インタビュー

    『夜戦と永遠』佐々木中氏インタビュー 「図書新聞」2009年1月31日号 「永遠の夜戦」の地平とは何か 聞き手・白石嘉治 松潤一郎 重厚長大な『夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社)という書物が出版された。不可思議で魅惑的な表題であり、内容・文体はそれ以上に 魅力的である。著者の佐々木中氏にインタビューした。聞き手は、白石嘉治氏と松潤一郎氏にお願いした。なお今回、以文社の前瀬宗祐氏に全面的にご協力い ただいた。記して感謝申し上げます。(収録日・12月10日、神田神保町にて。〔須藤巧・誌編集〕) 「現在」をめぐって 白石 このたび『夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社)という六〇〇頁を超える大著が出版されました。この書物を無視して、おそらく 現代思想を語ることはできない。ここから静かなる鳴動がはじまるのだろうと思います。今日は私と松潤一郎さんから、

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    bartleby0911 2009/02/24
    現在はこうなっているからこうしなければ乗り遅れるとか、こんな時代になってしまったから諦めてこうするしかないなどという抑圧的な言説は、惨めな恐怖と怯えと卑屈の産物でしかない。その一夜の一行を信じることが
  • 小説をめぐって14

    ◆◇◆小説をめぐって(十四)第二期一回目◆◇◆ 第二期のために書きとめて壁にピンで止めたメモのようなもの 「新潮」2005年3月号 『ミシェル・レリス日記1・2』(千葉文夫訳 みすず書房)の一九四八年二月二十一日に全体でこれだけのことが書きとめられている。 わたしにとって(そしてまた確実にほかの多くの人々にとっても)、年をとったということは別にせよ、この数年間に、いかなる点で事態の悪化があったのか。 陰な気分に浸りこんだ自分を感じるが、いまはこの気分に特別の価値をあたえることができない。 世界は何らかの点においてもっと生きるにふさわしいものに向かって動いており、——仮に個人的にはそこから利益を得ることはないとしても——それゆえに自分らの行動はこのような動きに組み込まれることで意味が生じるのだとはもはや考えきれない。 作家、画家、音楽家の日記を私は何冊も持っているがいままでどれも拾い読みし

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    bartleby0911 2009/02/12
    小説家や詩人がしなければならないことは、言葉が世界そのものに対応していないことに気づくことだ。
  • 都市の視線(4)

    以前、イヌイットつまりエスキモーの研究者が書いたこんな文章を読んだことがある。 「私たちのように都会に住む現代人には、イヌイットの人々の生活は一週間として送ることができない。狩猟の技術は言うに及ばず、排泄の仕方とその処理にしても私たちには大変な負担だ。私たちは彼らのことを簡単に『劣っている』と考えがちだけれど、彼らの方が私たちよりもはるかに優れている。」 エコロジーがブームになる直前の一九九〇年に読んだ文章なので、細部の正確さとなると心許ないが、意味としてはこういうことだった。最後の「優れている」は、もう少しやんわりと「自然について多くのことを知っている」だったかもしれないが、いずれにしてもこの研究者が言いたかったのは、都会に住む現代人は、イヌイットのことを簡単に「遅れている」とか「劣っている」という風に考えがちだけれど、生身のからだで過酷な自然と向き合う技術・能力・体力という面では、なま

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    bartleby0911 2009/02/12
    エコロジーとはイヌイットを賞揚したり、自然に単純にあこがれたりすることではない。エコロジーという観点ないし思想が持ち込まれるということは、視界が一挙にぐっと広がって、どちらか一方に焦点をあてて論じる単
  • HRI生き方リサーチレポート

    ◆◇◆HRI生き方リサーチレポート◆◇◆ vol.5『明日に向かい、いまを生きる同時代人たち』 2005年4月1日 ヒューマンルネッサンス研究所発行 http://www.hrnet.co.jp/ 「世代像がないから人生と向き合える」 まず最初に、自分がどういう世代なのか、ということなのだけれど……、一九五六(昭和三十一)年の十月に生まれた私にとって、小学二年で東京オリンピックがあって、中学二年で大阪万博があって、大学に入ったときには学生運動は終わっていた。バブルのときには三十歳前後で職場で一番働くポジションにいて、やたらと大事にされて礼儀も知らないバブル採用の新入社員に「なんだ、こいつら」という気持ちを持っていた。 いまは世代論が流行っているけれど、私の学年はどの世代にも属していなかった。というか「世代」というものを持っていなかった。私が中学、高校の頃、世代というのは「戦中派」とか「焼け

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    bartleby0911 2009/02/12
    軋轢や影響や憧れがなかったら今の自分になってはいなかっただろうけれど、それらが自分を決定的に変えたわけでもない。自分の人生においてすら、自分が当事者であることは些細なことなのだ。
  • 早稲田大学講演

    早稲田大学大隈小講堂・保坂和志講演報告 早稲田大学講演会録・その1・その2・その3・質疑応答編 2000年11月29日(水) 講演よりなりよりまず、 早稲田大学正門の前で一匹のを発見。 見れば両目とも白濁しており、 目が不自由なのかしら? しかし、とっても太っていて健康そうではある。 早稲田大学にはノラ用学があるやも知れぬ。 午後5:00にいよいよ講演開幕。 保坂和志はいつもの通り、 訥々とした口調で、言いたいことを喋ってゆく。 講演の途中ではちょっとしたハプニングも・・・・。 (末尾「がぶん@@の目)参照のこと) 当講演会の主催者、 早稲田大学現代文学会のメンバーたちと、記念撮影。 しかし、いまだにかけ声が「チーズ!」とは、 びっくりしたなぁもう(死語) 講演会の後で、当HP関係者だけが集まって、 近所のファミレスで保坂和志と歓談する。 人数はおよそ20人といったところ。 しかし、

  • エッセイ集のページ

    <body> 芥川賞・谷崎賞・平林たい子賞受賞作家、保坂和志ワールドへようこそ。 </body>

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