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2009年2月24日のブックマーク (3件)

  • 『夜戦と永遠』佐々木中氏インタビュー

    『夜戦と永遠』佐々木中氏インタビュー 「図書新聞」2009年1月31日号 「永遠の夜戦」の地平とは何か 聞き手・白石嘉治 松潤一郎 重厚長大な『夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社)という書物が出版された。不可思議で魅惑的な表題であり、内容・文体はそれ以上に 魅力的である。著者の佐々木中氏にインタビューした。聞き手は、白石嘉治氏と松潤一郎氏にお願いした。なお今回、以文社の前瀬宗祐氏に全面的にご協力い ただいた。記して感謝申し上げます。(収録日・12月10日、神田神保町にて。〔須藤巧・誌編集〕) 「現在」をめぐって 白石 このたび『夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社)という六〇〇頁を超える大著が出版されました。この書物を無視して、おそらく 現代思想を語ることはできない。ここから静かなる鳴動がはじまるのだろうと思います。今日は私と松潤一郎さんから、

    bartleby0911
    bartleby0911 2009/02/24
    現在はこうなっているからこうしなければ乗り遅れるとか、こんな時代になってしまったから諦めてこうするしかないなどという抑圧的な言説は、惨めな恐怖と怯えと卑屈の産物でしかない。その一夜の一行を信じることが
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    bartleby0911
    bartleby0911 2009/02/24
    ファルスがたんなるペニスではなく、無のシニフィアンであるというのは、どういう意味なのか。私たちが、自分自身を同一化しようとするファルスとは、どのような存在者なのか。1961-62年に行われたジャック・ラカンの
  • 高橋源一郎『退屈な読書』 - 那須日記

    読書 高橋源一郎さんの『退屈な読書』を読み終わる。「読み終わる」とはいっても、このはいつまでも「読み終わった」と思わないのが特徴で、僕はこのを、おそらく2回か3回は通読していて、通読まではしなくとも気になったところを拾い読みするということを何年も続けている。だから今回の「読み終わる」も、3回目か4回目の通読を果たした、といった程度の意味しかない。* この『退屈な読書』に限らず、高橋さんの書評(『もっとも危険な読書』とか『いざとなりゃくらい読むわよ』とか)はどれも、こまかく見ればいろいろな書法を駆使しているのだが、主な(というか目につく)やり方は、以下のふたつだ。 1、あるを読んで、問いを立て、それに答える 2、あるを読んで、問いを立てるものの、それには答えないずいぶんおおざっぱなまとめだが、このふたつの方法が高橋さんの書評のいたるところに登場するのは確かだと思う。そしてこの方法

    bartleby0911
    bartleby0911 2009/02/24
     われながら「おセンチだなぁ」とは思うものの、『退屈な読書』のなかの「晴れた日には、えの木ていで本を読もう」の章は、何度読んでもじーんとしてしまう。後半を引用してみよう