タグ

ブックマーク / www.radiodays.jp (5)

  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄

    どうも、まだまだ不慣れである。 どこに、何があるのかがよくわからない。 じっくり見ればよいのであるが、道具類がどこに収まっているのかがよくわからないのである。 このブログのいいところは、お客さんが勝手に→のカラーパレットからお好きな背景色を選べるところであるので、お試しください。 今日は、女優浜名みやこ(ラジオデイズアシスタント)の舞台があるので、三鷹までいくことに。どんな舞台か楽しみである。その前に、久方ぶりに早稲だの文学部キャンパスへ。企業うつの大家である、小杉正太郎先生にご相談があるのである。三鷹、間に合うのかな。

  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄 » ordinary people

    2011年あけましておめでとうございます。 昨年は、文字通り介護に明け、介護に暮れる一年だった。 最初は生活の激変に少しばかりとまどったが、一年も続けているとそれが日常になる。人間とはまことに順応性を内包した生き物で、炊事、洗濯、風呂掃除をしながら、秋葉原と新宿に出勤し、夜間寝る前に書き物をするというこれまでとはまったく違う日常が、以前から続いていたあたりまえの生活のように思えてくる。 三年前なら、土、日は昼過ぎまでごろごろ寝転んでおり、その前日は深夜まで遊びほうけていたのであるが、最近は土曜も、日曜も平日と同じように起き、同じように飯を作り、同じように洗濯物を取り込んだりしている。 当然のことながら、そのほうが生活にリズムが生まれ、体調がすぐれ、頭の回転もすこしはましになったような心持になるのである。介護は確かに物理的には負担だが、精神的には当たり前の家族の姿なのだと思えるようになってき

  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄 » 自転車操業と、雑誌掲載文。(長いよ)

    職場に自転車で通うことを言っているのではない。 通っているけど。 介護暮らしも半年が過ぎ、もうこの生活にも慣れる頃なのだが 介護というのは、日々新たな事件が勃発するような非日常的日常なのである。 退院直後は、日常復帰へと張り切っていたのだが、 その後、腰痛が始まり、老人性うつのような状態が続き、 頻尿、突然の脱糞などが最近のトピックとなっている。 明日は何が勃発するのかわからないという臨戦態勢の日々を送っていると、 平穏な日々がいかに貴重なものであるのかが身に染みるのである。 健康とは、まさそれを失った時にだけ意識されるもので、 欠損という状態がなければ、健康の大切さを実感することができない。 似たようなものはたくさんある。 お金が大切なのは、お金を意識しなくても生きていくことができるためなのであって、 お金そのものに価値があるわけではない。 べられないし、身につけて着飾ることもできない

  • http://www.radiodays.jp/blog/hirakawa/?p=672

    bartleby0911
    bartleby0911 2010/01/12
    同じような会話を毎日している。 しかし、父親と会話をするということを 俺は、母親が病の床に伏せるまでしてこなかった。 ほとんど、いがみ合うような関係を長い間続けてきた。 母親の死は、そういった父子のあいだ
  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄 » 平等な死

    母の葬儀が終わり、初七日も済ませて やっと母の遺骨が久が原の実家へ戻ってきた。 二ヶ月前に骨折で入院したときに、 以後は歩行が困難になりそうだということで、 入院中に部屋を改装したのである。 半世紀住んでいた部屋の北面の壁は朽ちており、 ところどころに穴が開き、ねずみの棲家になっていた。 棚という棚には、使わない器、なべ、ガラス器が詰め込まれており、 そのほとんどを廃棄した。 もう数年老夫婦がここで過ごしていたら、ほとんど ごみ屋敷と化していたような状態であった。 片っ端から片付けている間、 老夫婦の身体がいうことをきかなくなって、片付ける気力が 萎えていたことが知れて、なんともいえない気持ちになった。 入院一ヵ月半のところで、改装が終わり、 井戸水を汲んで、裏玄関の外で洗濯をしていた生活に 終止符を打ち、近代的なシステムキッチン、スイッチひとつで 焚ける風呂,室内の全自動洗濯機が 母親

    bartleby0911
    bartleby0911 2010/01/12
    死は生の延長上にある出来事ではなく、 人間の知が賦活しうる世界の出来事 とは次元を異にした出来事なのだ。
  • 1