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ブックマーク / ryo-ta.hatenadiary.com (4)

  • むかつく - at-oyr

    十代の頃だともう時と場所を選ばずなりふり構わぬ猛烈な勢いで常にむかついていて、それは二十代になってもやはり相変わらずで、さすがに十代の頃よりは外面を取り繕ってある程度上手くやる術の心得も多少は学んだけれどでも基原則的には何も変わらず一貫してムチャクチャむかついており、たまに何かのはずみで一挙に前後不覚になるくらいブチ切れてしまうような事もよくあり…それでやがて三十代になると相も変わらず昼夜を問わず相当むかついてはいるけど多少くたびれてきて持続力も集中力も体力も目に見えて落ちてきて色々な意味であきらめの気分も出てきて、なんとなくむかつき続ける事のパワーを維持させるのもダルくなってきて、そしてその自分の枯れていく感じを突き放されてはじめて得た自由のように自分自身がやや心軽い何かとして感じていて、だからむかつきつつもまあどうでもいいやって気分になってきて、そのあとすぐに四十代になってそうなると

    むかつく - at-oyr
  • ドガ - at-oyr

    横浜美術館でドガ展。作品数も多く見ごたえ充分の展覧会だが、しかしこの画家の残したおびただしい数のデッサンやタブローのほんの一部、この作家の仕事のわずかな部分しか、ここにはないはず。当たり前だが。しかしそれらを観るというのは生易しい事ではない。観るなら気を出さなければいけない。その作家と共に生きるような気持ちで、その作家の傍らで作品を見せてもらうように。でも、それでもその作家の仕事の全容なんてものは、いくら頑張ってもわからない。たぶんかりに何日もかけて、その作家の全作品を観たとしてもわからない。なぜならその作家の作品を観ながらも、自分の人生もとどまる事無くひきつづき進行中だからだ。作品の作り手も観ている方も共に流される一方で、安定した場所で自分や他人を眺めることのできる機会など、生涯のうち遂に一度たりとも訪れない。出会いは常に起こり、色々なかたちになって、後から後からあらわれては、次々と消

    ドガ - at-oyr
    bartleby0911
    bartleby0911 2010/09/27
    恥ずかしい話だが「浴女」の背中から肩にかけてあたる柔らかな麻の光を見ると、感傷があふれてくる。この光は何の手がかりもなくひたすらもがき苦しみながら20世紀を迎えようとしている画家が見た、ほんの一瞬、恩寵
  • 理由 - at-oyr

    景色を見たりしてそれを美しいと思う事と、絵を描きたい/観たいと思う事は密接に関係しているが、直接つながっているわけではない。 毎日何かを見てうつくしさを感じて、毎日絵を描くのが、多くの人間にとってどれほど困難であることか。 なぜ絵を描けなくなるのか? それは、何かを見てうつくしさを感じられなくなるからでも、絵を描きたくなくなるからでもなく、両者がいったいどのように関係付けられ、結び付けられているのかが、わからなくなってしまうからである。日々を重ねるにしたがい、そのわからなさが、無視できないほど大きく前面化してしまうからである。 極端な話、行為(制作)が外部的な何者かに評価されたり正しさを保証されたりしなくても一向に構わない、と言い切ることは(自分に閉じこもる事によって)可能かもしれないが、しかし少なくともこの私が私自身で最初にうつくしいと感じた何かに対して、私の行為(制作)がそっぽを向いて

    理由 - at-oyr
    bartleby0911
    bartleby0911 2010/09/27
    おもむろに、ただなんとなく、ふいに、唐突に、何の前触れもなく、誰かの力添えとか誰かのお墨付きとかでもなんでもなく、伝統でも歴史でもなく、たゆまぬ努力の成果でも地道な研究の末でもなく、文脈も共有しない、
  • 客 - at-oyr

    自分の思うことや考えを書いておきたいと思うので、そういう事を書いているが、でもそればかりでも、倦怠してどんどん煮詰まってくる。で、いいかげんにうんざりしてきて、もうとにかく、自分の思うこととか、自分の考えというもの自体が、耐え難く暑苦しくて陶しくて、そうじゃない事ならなんでもいいから、いわゆるそういうこととは別の、自分とはまったく関係のない、ただの事を書きたいと思うことはよくあるので、あえて見たものを見たままに描写してみたり、どうでもいいと思えるような事を書いてみたりもするのである。そういうのは、読む人がどう思うかはともかく、書いてる人にとっては、内容以前に、そういうのを書いてるというだけで、かなり爽快な気分になったりしているものだ。 しかしそうはいっても、どんな内容であれ、やはりある程度ずっと書き続けていると、自分の思いや考えとは別の、そういった自分から切り離された事を書いているつも

    客 - at-oyr
    bartleby0911
    bartleby0911 2010/06/02
    保坂和志「生きる歓び」に出てくる「登場人物」の在り方には、すごく「フェアネス」を感じるというか…人間が設定した例えば民主主義みたいな人工的システムとしての「フェアネス」ではなくて、もっと巨大で不思議な
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