人が木や草花に関心を通り越して過剰とも見える思い入れをするとはどういうことか。 四、五年前、うちの最寄り駅の私鉄の駅舎がロータリーも含めた大々的改装工事をしたとき、ロータリーのまわりに立派な大きなケヤキが七本か八本か、あるいは十本ぐらいも生えていた。一人の初老の女性が駅員をロータリーに呼び出して、このケヤキを伐らずに残しておくように、抗議だか懇願だかしていた。そのケヤキは保存樹木として残しておくようにという、あまり大がかりではなかったと記憶するが、とにかく住民による運動もあり、結果、すべてではなかったが、五本か六本、ケヤキは残されることになったが、あのときの女性はその運動とは別に、彼女個人の意志としてやむにやまれぬ訴えとして、ケヤキを伐らないでくれと言っていたように見えた。 妻と二人で少し離れたところまで散歩したとき、車一台がかろうじて通れる程度の道の三分の一くらいを占めていた太い、これも