2014年のコンテンツ文化史学会の「ミニスカ女子高生2人を描いた萌え絵のポスター」に対して、批判が行われている。5つほどに批判をまとめて、それぞれに反論したい。 1つ1つ、批判の内容を箇条書きに書いて、その後に、それに対する反論を述べていくことにする。 批判1.萌え絵がどれだけオタク以外の人や外国の人から見て、過剰にセクシュアルで物議を醸すものなのか、認識が足りない 「外国から見て恥ずかしい。だから、やめちまおうぜ」。 そういう理屈で日本は混浴を廃止、100年前に次々と表現規制を推進。かの福沢諭吉に至っては、「日本は風俗嬢に対しての視線が優しすぎる。もっと厳しくすべき(つまり、差別せよ)」なんてことをのたまっていた。詳しくは澁谷知美『立身出世と下半身―男子学生の性的身体の管理の歴史』をお読みいただきたい。 表現規制は学生のたばこや飲酒の禁止につながり、さらに大学受験生の風俗体験の規制へと発
博士過程に進んだ東大生が書いたこの文章wwwwwwwwwwww Tweet 75 1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/07/29(月) 22:01:34.10 ID:rKWhjh+K0 つらい http://biomedcircus.com/research_02_13.html 2 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/07/29(月) 22:02:16.36 ID:o1vV8LzJP bioの三文字で全てを悟った 4 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/07/29(月) 22:06:05.46 ID:rKWhjh+K0 簡単に内容まとめる 子供の頃から天才で東大に進む、その先も勿論エリートコース ↓ 海外で初めての挫折、そこから研究室を転々とする万年ポスドク ↓ 昔馬鹿にしてた同級生と海外で再開、既に家庭をもち幸せな生
無題 この文章は私の心の闇を文章化したものである。万人に好まれる読み心地の良い快適な文章ではないことを初めに警告しておく。 私は小さい頃から自分はエリートで歴史に名を残す人物になると思っていた。幼稚園の頃に既に自分は周りとは違うという意識があった。小学校では天才だと色々な人から言われた。有名な中高一貫校を出てT大学に入った。大学院での研究では同期よりも先輩よりもimpact factorの高い雑誌に論文が掲載された。これまでの研究室の歴史の中で自分の論文が一番高いimpact factorだった。しかし、自分だから当然の結果だと思っていた。そのときは、挫折などは凡人が感じるものだと心の底から信じきっていた。 雲行きが怪しくなったのは、某財団から奨学金を獲得して海外に留学してからだった。奨学金も特に苦労せずに獲得できたため、海外のLabで自分が研究すれば2年ほどでCellやNature、Sc
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く