今から何をやるんだか、わからないけど、やるぞー
中核派と革マル派 平井修一 小生、弱冠二十歳(はたち)の1971年は過激派・中核派の兵隊として暴れていた。10年間の裁判で懲役6カ月、執行猶予3年をいただいたが、その間の話はさておいて、週刊誌も書かない革マル派の話をつづる。 中核派と革マル派は親戚である。兄弟みたいなものである。「革命的共産主義者同盟・マルクス主義学生同盟」までは同じで、そこから中核派と革マル派に枝分かれする。 兄弟の性格はみごとに違う。小生は横浜市立大学で「現代史研究会」を主宰し、アナーキストからべ平連、共産主義者同盟・情況派、そして中核派、革マル派、社青同解放派までを糾合していた。そう言うとカッコイイが、なに、ただのまったりしたユルフン的なサークルを立ち上げただけである。 で、中核派と革マル派は友だちだったから、小生はどっちへ転んでもよかったのだが、この二派は根本的な違いがある。 小生が反政府運動を志したのは「台湾独
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