幕末、はた目には徳川家茂との政略結婚の犠牲となって悲惨な生涯をおくったと言われる皇女和宮(かずのみや)。 しかし、様々な思惑から夫婦となった二人ですが、蓋を開けてみればとても仲の良い夫婦でした。 和宮 井伊直弼の暗殺 婚約破棄 輿入れ 思わぬ幸福の日々 たった4年で終わりを迎えた結婚生活 西陣織 元婚約者が敵の総大将に 江戸城無血開城 明治維新後 和宮が抱いていた写真 和宮 孝明天皇(明治天皇の父)の妹である和宮は、 わずか6歳で17歳の有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)と婚約します。 皇女の嫁ぎ先は、宮家、五摂家(近衛家、鷹司家、九条家、一条家、二条家)に限られており、この中から相手に巡り合えない時は生涯独身で過ごす(もしくは、尼になる)しかなかったので、和宮のこの縁談は非常に運がよい、と言われました。 当然、6歳では結婚できませんから、輿入れ(結婚)は和宮が15歳にな
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