私が33歳の時、拒食症によって母は入院しました。身長160センチで体重は37キロ。数年ぶりに母を見て「バタリアンのオバンバみたい…!」と息を飲んだ私。 母の手帳には、日々の体重グラフと「目指せ35キロ♡」の文字が。「痩せたら美しくなれる」という十代の少女のままの発想だったのでしょう。 母とは絶縁状態でしたが「死にかけの老人を見捨てるのは人として仁義に反する」と思い、娘としてじゃなく人として、私は病院に通いました。 ICUで管に繋がれた母は意識障害を起こしていて、私が誰かもわからない状態でした。そんな幼児のような母を見て「今の母なら愛せる」と思った。今の母なら私を傷つけないから。 ちなみに母は私を「中曽根さん」と呼んでいて、私も「やあレーガン大統領、ロンと呼んでいいかな?」とそれらしく返答。 2か月の入院中、夫は親身に支えてくれて「この夫と結婚してよかった」と実感しました。また女友達も支えて