ブックマーク / call-of-history.com (6)

  • ジャンヌ・ダルク火刑時の「焼けなかった心臓」の逸話を史料から考える | Call of History ー歴史の呼び声ー

    ジャンヌ・ダルクの心臓が火刑後も焼けずに残ったというエピソードがまことしやかに語られ、聖女ジャンヌの奇跡として取り上げられることも多いようだ。 ジャンヌ・ダルク復権裁判での証言このエピソードの出典はジャンヌ・ダルク復権裁判での関係者の証言である。1431年のジャンヌ・ダルク処刑裁判当時、ルーアン管区司祭長で処刑裁判の召集など運営実務を行う法廷執行吏を務めたジャン・マッシュウ”Jean Massieu”が以下のように証言している。 『私は、ルーアンの国王代官の書記ジャン・フルーリーがこう言うのを聞きました。死刑執行人がジャンに、ジャンヌの躯は焼きつくされて灰になってしまったが、心臓だけは無傷で血がいっぱいだったと語ったというのです。しかし灰と彼女の残したものはすべて一緒に集めて、セーヌ川に捨てるように命令されたので、その通りにしたということです。』(レジーヌ・ペルヌー編著(高山一彦訳)『ジャ

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    batti-8 2020/03/28
  • 「裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心」中野 明 著

    幕末明治、日を訪れた欧州の人々が驚いたのが、そこらじゅうに溢れる恥ずかしげもなく裸体を晒す日の人々である。若い娘が一糸まとわぬ姿になって庭先で行水し、子供たちは裸で川遊びに興じ、車力の男達は筋骨隆々な身体を見せ、公衆浴場も温泉も多くが当然のように混浴で、老若男女みな裸体の人が町中にいても気にも留めない。 当時の欧州や現代日と当時の日とでは裸体に対するとらえ方が大きく違っていた。当時の日では裸体は羞恥心を抱く対象ではなく、現代日で言うところの顔のようなもの、『人間の顔と同じく「日常品(コモディティ)」だった』(P107)と著者は言う。一般的に、人の顔を見てもなんら性的な欲求を覚えないように町中で顔を晒して歩いていても恥ずかしいとは思わない。同様に、当時の日では顔の延長であるコモディティとしての裸体を恥ずかしいとは思わない。このような裸体を恥ずかしいと思わない観念の社会が、明治維

    「裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心」中野 明 著
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    batti-8 2018/08/24
  • 「『大日本帝国』崩壊 東アジアの1945年」加藤聖文 著

    昭和二十年(1945年)八月十五日正午、玉音放送が流れ大日帝国臣民は敗戦を知らされた。大日帝国の崩壊はただ日の敗北を意味するだけではない。大日帝国の崩壊によって大日帝国による植民地支配体制が崩れ、新しい国家、新しい国際秩序が東アジア地域に誕生することになった。その八月十五日前後の経過を通して大日帝国下の日、朝鮮、台湾、満州、樺太・千島、南洋諸島、東南アジア諸地域が迎えた敗戦と変化を概観した一冊。 まず序章としてポツダム宣言の公表に至る諸国の駆け引きが、第一章ではそれを受けての日政府の対応が描かれる。 ポツダム会議の議題はヨーロッパの戦後処理とともに唯一抗戦する日をどうするかであった。米国内では天皇の地位を保障して早期停戦に持ち込むべきとするグルー国務次官・スティムソン陸軍長官派と天皇の地位保障を盛り込むべきでないとするバーンズ国務長官・ハル前国務長官の無条件降伏派との対立

    「『大日本帝国』崩壊 東アジアの1945年」加藤聖文 著
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    batti-8 2015/08/16
  • 「敗走記」水木 しげる 著

    1970年に発表され、のちの「総員玉砕せよ」につながる水木しげる戦争漫画の代表作のひとつ。表題の「敗走記」のほか「ダンピール海峡」「レーモン河畔」「KANDERE」「ごきぶり」「幽霊艦長」が収録。数年ぶりに再読して、ふと感想書いていなかったことに気付いたので、その中から特に面白かった、「敗走記」「ダンピール海峡」「レーモン河畔」「幽霊艦長」の感想を簡単にメモ。 人の経験もあるが基的には真山という水木の友人の体験を中心に構成された作品だが、主人公は「水木」とされている。昭和十九年南太平洋ニューブリテン島で孤立した主人公「水木」の脱出劇で、とにかく絶望的な状況で九死に一生を得る過程が描かれるのだが、命からがら逃げ延びた彼に、司令部は酷い対応をするのだった・・・ 最後の「戦争は 人間を悪魔にする 戦争をこの地上からなくさないかぎり 地上は天国になりえない」というコメントは、その後の水木しげる

    「敗走記」水木 しげる 著
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    batti-8 2015/06/08
  • 文禄・慶長の役を巡る明・琉球・島津氏の情報戦 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    朝鮮半島全土を荒廃させ、豊臣政権崩壊の要因ともなった十六世紀東アジア最大の国際戦争「文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)」。どうしても戦地となった朝鮮半島を中心にして語られることが多いが、少し視点をずらして琉球・東シナ海を中心にして眺めてみると、同戦争の別の面が見えてくる。「文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)」を巡る情報戦である。 ということで昨日の記事「琉球王国の興隆と衰退を中心に十六世紀東アジア貿易と島津-琉球外交略史」を話のまくらにしようと思っていた記事。主に上里 隆史 著「琉日戦争一六〇九―島津氏の琉球侵攻」の記述を中心に、いくつかの関連書籍・サイトを参照している。 朝鮮出兵計画は早くから明に漏れていた。そもそも、秀吉は幾度となく軍事的侵攻を仄めかす恫喝文書を東アジア諸国に送っていたこともあって、いつ攻めてきてもおかしくないという危機感が諸国にはあったが、それが朝鮮・明国への大規模侵攻と

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    batti-8 2014/08/01
  • 「織田信長 (人物叢書)」池上 裕子 著

    吉川弘文館の人物叢書シリーズというと、何冊も読んだという歴史ファンはとても多いのではないだろうか。人物伝のスタンダードとして名高いこのシリーズに満を持して織田信長が登場していたので遅ればせながら読んだ。 彼の事跡や生涯についてはまぁよく知られている通りで、書でも手堅く定説が記述されている。著者のスタンスとしては『信長を英雄視しない』とするもので、その生涯を辿るにあたって、「天下」という言葉の意味するものの変化に注目している。 戦国時代、「天下」は必ずしも日を意味していなかった。信長自身、「天下」を日の意味で使ったことは無いし、信長が掲げた「天下布武」「天下静謐」という言葉における「天下」も日を指していない。中世末期の「天下」の使われ方は、『天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあ

    「織田信長 (人物叢書)」池上 裕子 著
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    batti-8 2014/02/19
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