フォトジャーナリストの広河隆一氏(78)が5日から計画していた写真展は1日、中止が決まった。広河氏が性加害を謝罪しないまま活動を再開することに抗議の動きが広がり、会場の那覇市民ギャラリーが中止を申し入れた。 美底清順館長は1日、広河氏と面会して方針を伝えた。
フォトジャーナリストの広河隆一氏(78)が7月5日から、那覇市民ギャラリーでウクライナの写真展を開くことが分かった。広河氏は性暴力の加害が2018年末に明らかになっており、約3年半ぶりの写真展となる。明確な謝罪がないままの活動再開だとして、抗議の動きがある。
■お客様は神様? 「日本人客はお断り」―。沖縄県石垣市内にあるラーメン店の一つが1日から、観光客や地元客を含む日本人客の入店を制限している。理由はマナーの悪さ。食品を持ち込んだり長居したり、席を余分に取ったり。1人で切り盛りする店主の男性(42)は「日本では『お客さまは神様』とされ、客自身もそう思っているが、そうなのか。金を払えばいいというのはおかしい」と話している。制限は9月末までを予定。 店舗はカウンターのみの全8席。1人に付き1杯を提供しないともうけが出ないため、約3年前から入り口の扉や券売機に「1人1杯」の順守や、乳幼児がいる家族連れの入店を断る張り紙をしていた。 ■会員制も検討 だが日本人団体客の中に注文しない人がいたり、納得いかず悪態をついたりする客は逆に増えていった。近畿地方から来た子連れの夫婦は「近くの駐車場に300円払って来た」とアルバイトに不平をいい、「おまえたちはどん
沖縄本島に住む女性(31)が、県内の携帯電話ショップの店長だった26歳の時に脳梗塞を発症したのは過重労働との関連性が強いとして、昨年11月に労災認定された。社会人経験が浅い中、販売ノルマや部下を束ねる役割に追われ「過労死ライン」を超える残業を重ねていた。各企業に新入社員が仲間入りする4月。働き方改革関連法が順次施行され、残業の罰則付き上限規制も始まった。若い働き手たちがブラック労働を見極め、心身を守るためには何が必要なのだろうか。(学芸部・新垣綾子) 医療費に驚き 自己負担と健康保険でカバーされる額を単純計算すると約1千万円-。女性は労災認定後の手続きの中で、脳梗塞発症から退職まで1年半の入院や治療にかかった医療費を知り、驚いた。「これからばりばり働ける人間の人生を狂わせただけでなく、社会にも大きな負担をかけることを会社側は認識してほしい」 携帯の販売代理店を担う会社には、大学3年の時に参
1965年生まれ、岩手県盛岡市出身。89年筑波大学比較文化学類卒、野村証券入社。93年米国野村証券。97年ニューヨーク大学経営学修士課程修了。01年不動産トレーディング会社レーサムリサーチへ移籍し金融事業を統括。04年サンマリーナホテル(沖縄)を取得し愛を経営理念とする独特の手法で再生。06年事業再生・経営受託を専業とするトリニティ設立、代表取締役社長(現任)。12 年沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授(現任)。南西航空の再生をテーマにした「沖縄航空論」、人と社会の幸せを考える「幸福論」など担当。18年より人間中心の福祉と経営を学ぶ『命の学校』を、沖縄県社会福祉事業団と共同で開校し学長に就任(現任)。沖縄経済同友会常任幹事(09年度〜現任)。内閣府・沖縄県主催『金融人材育成講座』講師。沖縄に移住して14年になる。http://www.trinityinc.jp/updated
1965年生まれ、岩手県盛岡市出身。89年筑波大学比較文化学類卒、野村証券入社。93年米国野村証券。97年ニューヨーク大学経営学修士課程修了。01年不動産トレーディング会社レーサムリサーチへ移籍し金融事業を統括。04年サンマリーナホテル(沖縄)を取得し愛を経営理念とする独特の手法で再生。06年事業再生・経営受託を専業とするトリニティ設立、代表取締役社長(現任)。12 年沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授(現任)。南西航空の再生をテーマにした「沖縄航空論」、人と社会の幸せを考える「幸福論」など担当。18年より人間中心の福祉と経営を学ぶ『命の学校』を、沖縄県社会福祉事業団と共同で開校し学長に就任(現任)。沖縄経済同友会常任幹事(09年度〜現任)。内閣府・沖縄県主催『金融人材育成講座』講師。沖縄に移住して14年になる。http://www.trinityinc.jp/updated
スクの水揚げが、奥武島で始まった。1カ月前は水揚げがなかったため、少ない収穫量だが漁師らは一安心という=27日、南城市 【奥武島=南城】スク(アイゴの稚魚)の水揚げが旧7月1日にあたる27日、南城市の奥武島であった。この日の水揚げは56キロ。旧暦6、7、8月の1日に本島近海に押し寄せるが、1カ月前の奥武島は水揚げがなかった。漁師らは「少しだけでも収穫があって良かった」と胸をなで下ろした。 多い年は1日で1トン収穫するという。27日は3隻が出港。朝一番に奥武漁港に戻った船は44キロ、3隻目が12キロを収穫した。 奥武島出身で、島の鮮魚店で働く浦崎小百合さん(50)は「1カ月前は収穫がなかったから、これだけでもありがたい」。孫の吉本憲将君(2)は「ぴちぴち、海ではねていたの」と興味深そうに、かごの中のスクを見つめていた。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く