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  • 皇太子も訪問した『楠公誕生地』: こんにちは。杉田造園です

    明治11年(1878)に建立 石碑には、「楠公誕生地」とあり、千葉周作、斉藤弥久郎と並ぶ幕末の三剣豪、桃井春蔵(桃井直正1825~1885年)の筆によるものです ここは建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍、明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称された楠木正成の生れたとされる「楠公誕生地」 文禄年間に豊臣秀吉が土壇を築き、小さな祠を祀ったという。その後、明治になり大久保利通公の奨めにより「楠公誕生地」の碑が建てられた 大正6年、5月には、皇太子(後の昭和天皇)が訪問され、クスノキを記念に植樹されています 楠木正成公ゆかりの場所だけに立派なクスノキが多い すぐそばには、村立郷土資料館 最近できた楠木正成公のキャラクター「まさしげくん」 正成公の鎧??? クスノキも元気です 明治41年、近郷有志による楠公誕生地保勝会が組織され、敷地の拡張や休息所の新築など、史跡の整備顕彰にあたったが、

  • 世界遺産で熊野三山の『熊野本宮大社』へ行ってみた: こんにちは。杉田造園です

    「熊野大権現」の奉納幟がなびく。ここは熊野宮大社、全国に3000社以上ある熊野神社の総宮でもある 熊野宮大社は和歌山県田辺市宮町にある神社で熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、別名:熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)、熊野加武呂乃命(くまぬかむろのみこと))を主祭神とする。 鳥居をくぐり、杉木立のなかの石段へ。158段の石段を登りきると、正面に神門がある。 神門より向こう側は撮影禁止!檜皮葺きの古色蒼然とした社殿が向かって左から第一殿・第二殿の相殿(あいどの)、第三殿、第四殿と3棟並ぶ。 ミニ奉納幟!?伝説によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。そのほかにも日サッカー協会のシンボルマークでお馴染の太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に

  • 3000年の歴史を訪ねて『玉置神社』へ行ってみた: こんにちは。杉田造園です

    「人里遠く離れた所」という言葉はここで生まれたのではないかと来るたびに思う。ここは奈良県吉野郡十津川村、玉置山(1076m)の頂上近く標高1,000m付近に鎮座する「玉置神社」 山頂付近の駐車場までは車で来られるが、そこから境内まで参道(山道)を15分ほど歩く。 参道は結構険しいので、歩きやすい格好がおススメです。でも途中にはいろいろ目をひくものがあります。(苔むした杉) 玉置神社の歴史は、社伝によれば崇神天皇によって崇神天皇61年(紀元前37年)に創建されたという。古来より十津川郷の鎮守であったとされる。 また玉置の由来は、神武天皇御東征の時この地で兵を休め「十種神宝(とくさのかんだから)」の「玉」を鎮め(置き)武運を祈願されたことから玉置(たまき)の由来とされる。 う~ん。シブイ。 それだけでなく、境内には天然記念物の巨木杉郡(神代杉・常立杉・磐余杉・大杉などの)樹齢3000年の御神木

  • こんにちは。杉田造園です

    辛坊訓 日々のニュースは教訓の宝庫 テレビでは決して言えない内容が満載です。 著者は、(株)大阪綜合研究所代表、ニュースキャスターで読売テレビ、『たかじんのそこまでいって委員会』、『ウェークアップ! ぷらす』、『朝生ワイドす・またん! 』で司会、ニュース解説と活躍する辛抱治郎氏。 書は、『FLASH』に連載中の「辛坊次郎のニュースい倒れ! 」―気になる「時事ネタ」の情報解読術―に大幅加筆して単行化した一冊。その為か関西ローカルのテレビよりも過激発言が満載です。 たぶん、ズームイン朝の印象しかない方は、別人かと思うほどです(笑) 商売柄、非常に興味をひかれたお話を一つ。 “生活保護問題解決には『草取り』がある“ 大阪市で生活保護により暮らしている人は現在18人に一人。西成区にいたっては4人に1人と大阪にとって非常に大変な問題です。ご飯がべられないほど貧しい人が、税金で救済されるのは当

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