昭和2年、26歳の梶井基次郎は世間を捨てる覚悟で、伊豆・湯ヶ島で療養生活を始めます。当時の湯ヶ島は川端康成を始めとして萩原朔太郎や尾崎士郎&宇野千代夫妻など、文学者たちが集う文士村として知られていました。滞在し始めた当初は、 此の頃は処女会位の年頃の娘十六位の少女をやはり美しいと思ひはじめました。こんな連中が湯へ入つてくるときはなんだか後光かなにかで光つてゐるといふやうな気がします(中略)どうも恐迫観念のやうに脚と胴の境目の黒いところへ眼がゆくやうですが、僕自身は何らエロテイシズムもなく(恐らくこれが最も健全なエロテイシズムなんだらう)彼女等を見させて貰つてゐます。眼は僕を裏切る 全くそんな黒いところなど見たくないのに眼が行くのだ――どうも人間といふのは憂鬱なものを背負はされてゐるといふ感じです (昭和2年2月1日、友人への手紙より) と川端康成ばりに田舎美少女の無防備な全裸にホクホ