3/21のお別れ会で読んだ、弔辞の完璧バージョンです。 新聞などに聞き書きで転載されましたが、 発してない言葉がはいってたり、勝手に単語をカットしたりと不正確なので。これが元の原稿です。 「弔辞」 今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。...
![松本 隆](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f2d38488093d71e736a6a55dada445817a1f3788/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fscontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net%2Fv%2Ft1.0-1%2Fp200x200%2F12802965_951299408317751_7643346935120060067_n.jpg%3F_nc_cat%3D106%26_nc_sid%3Dbbed71%26_nc_ohc%3DCR07hr5PnPMAX9Jc5ND%26_nc_ht%3Dscontent-nrt1-1.xx%26_nc_tp%3D6%26oh%3De8737537ea63e23a9f2293a1da0fcaa7%26oe%3D5F34CA6D)
本日、ブログ界隈でこのような記事が話題になっていた。 僕がどれほどブログに対して本気であるかを書いた直後にブログが無断転載されたり、今回のように存在を全否定されたり、何かと良くないこと続きだ。なんてこったい! 恐らく日本中でブログを書いている人の大半は会社員でありながらブログを日々更新している。当然、僕もその中の1人である。会社員ではあるが、毎日平均6本ほど記事を更新し、月間約120万PVのアクセス数を稼ぎ出すブログメディアを運営している。 では、「会社員ブロガー」は本当に「つまらない」のだろうか。もちろん、会社員を辞めてブログ運営に集中すれば記事内で言われている通り、それなりに収益化できるはず。ただ、同時に現役会社員ブロガーとしては、会社員でありながらブログを続けることによる様々なメリットも存在すると思う。 恐らくあの記事を読んで怒りと絶望で震えている会社員ブロガーも多いと思うので、本記
もう5年くらい前、 リクルートでGM(ゼネラルマネージャー)になって半年くらいした時の話。 組織が変わり、全ての商品企画組織を担当することになった。 別の商品のチームが加わったタイミング。 前任の組織で設計されていた計画はどう見積もっても達成できそうになかった。 このままいくと、組織全員達成できないという状況に追い込まれる。 マジで困ったなと思って、今IndeedでCEOをやっている出木場さんに相談しにいったことがある。 ※出木場さんの最近の記事 日本とアメリカのエンジニアを取りまく環境の違い WIRED.jp 「出木場さん、新しい組織の目標がはじまった瞬間から達成できる気がしません」 「お前、それはGMの責任だよ メンバーを達成させていくのもGMの責任だ」 と一蹴されました。 「前任の計画がどうのこうのとか、しょぼいこと言ってんじゃねーよ」 「新しい事業つくってんだろ?成長しないでどうす
ついにiPhone卒業→「Nothing Phone (2a)」へ。この乗換えが大正解だった!【今日のライフハックツール】
最初の3年で仕事人生の大半が決まる説 - sudoken Blog この方は、ずっと順調だったから言えるんですよね。 この記事を、もがき苦しんでた社会人生活3年目とかに見てたら、致命的なダメージ受けてるとこだった。 最初の3年だけでほとんどが決定するなんてあり得ない。変わりたいと思えばいつだって変われる。辛ければいつだって辞めてもいい、逃げてもいい。 最初に就職した会社が不本意な業界や仕事だった場合、無理して3年も働く必要ない。やりたいことがあるなら、転職なり起業なりをいつだって考えてもいい。 自分が望んだ仕事や会社に新卒で就職できたとしても、やってみたら環境も仕事内容もあいませんでした、ってこともあるはず。そんな状況で神経すり減らして働く必要は全くない。いつだって自分の心と身体を最優先にしないと、ある意味最初の3年のせいで一生再起不能な病気を発症するかもしれない。 最初の3年で決まるから
昼は高田馬場の中華料理店で鉄鍋を回し、夜はクラブでターンテーブルを自在に回す。79歳にしてアクティブすぎる人生を謳歌しているのは、岩室純子さん。またの名がDJ SUMIROCKだ。 「みんなでワイワイ騒ぐのが好きで、自分でもDJをやってみたくなって。それで知り合いから紹介されたDJスクールに通い始めたの。本当はもう卒業してなきゃいけない時期なんだけど、まだまだ教わりたいことがたくさんあるから、自主留年してスキルを磨いています」 と本人は語るが、そんなSUMIROCKが通うのが日本を代表するトップDJの一人、DJ TSUYOSHI氏が主任講師を務めるDJスクールのIDPS(international dj production school)だ。 「歳のせいか、ミックス(曲と曲をつなぐこと)をする際にどうしてもタイミングが遅れてしまう」と悩むSUMIROCKを指導する授業風景を収めたのが、次
おじさんになると、自分が社会人だから、社会人を主体とした話をしがちになる。社会に出てからが人生の本番であって学生時代はその準備期間にすぎないとでも言いたげになる。学生時代にそんなふうだと社会に出てから苦労する〜みたいな論調になる。 そういうロジックの人は、幼稚園児には小学校が本番だっていうし、小学生には中学校で勉強に遅れるぞみたいにいうし、高校では大学受験を正当化するためにいろんな不合理を押し付けると思う。 東大に入るのを人生のゴールにしないで、そこで何をしたいかを目標にしろみたいにも言いがちだと思う。 東大に入るのが夢でも問題ないとおもう、その先に何をするのかを目標にしろつっても、早かれ遅かれ目標達成したら次の目標立てなきゃならんだけだし、人生は連続していていつか死ぬ— Issei Naruta (@mirakui) August 19, 2011 東大、行ったことないけど、東大に入るの
年を取ると時間が経つのが早く感じるのは、古今東西同じようです。米紙ウォールストリートジャーナルではDan Arielyさんが、年を取ると慣れ親しんだ生活パターンに陥ることが多いので、時間が経つのが早く感じるのだと説明しています。私たちは、時間を記憶や思い出の積み重ねとして認識しているので、新しい経験が減ると、興味深いことで記憶を埋める機会が減るように感じるのでしょう。 年を取るにつれ、より早く時が過ぎていきます(より正確に言うなら、時は過ぎていくように感じます)。人生の最初の数年間は、感じるものすべて、やることすべてが目新しく、初めて経験することがたくさんあるので、記憶にもしっかりと残っています。 しかし、年月が経つと、初めて経験することがどんどん減るようになります。それは、すでに経験したことがたくさんあるからでもあり、慣れ親しんだ日常生活に囚われるからでもあります。例えば、先週起こったこ
感受性強め(つまり、自意識過剰)な自分は、自分の精神が毎日磨耗していくのをヒリヒリ感じている。今日は、中2病の我流治療法を紹介するぜ。 1.期待しない他人に期待すると、望みどおり行かなかったときにショックが大きい。だから、最初から期待しないことにした。塩を振ったスイカは甘く感じる、とかそういうのだよね。 2.見ない・聞かない・気づかない(フリをする)周りがいろいろ言ってることに注意を払わない。気づいたことが奴らにバレると面倒に巻き込まれるからな。 3.仕事でやってる「役割」に気を使わない店員、医者、役所、そういう人々は「客の世話をすること」が仕事だから、気を使う必要はない。礼儀を欠かないように注意すれば、わがまま言ってもオッケー。 4.怒ってもいい怒っていることを外に出してもいい。怒る練習をしてもいいぐらいだと思う。 5.他人が言ってることは50%位に受け取る全部本気にしない。ハイハイ、っ
身バレするとマジで死にたくなるのでぼかして書くと俺40代独身男。今振り返ってみてもどう考えても劣等種と言わざるをえないような人生だった。若いころにまともな恋の一つもできず(全部フラれた)社会に出てからは働き詰めで仕事しかしてなかった。法律に違反もせず会社でもまじめに仕事と生活に取り組んでいた。でもそれだけだった。気がつけば人生で何も残ってなかった。女性も数多く働く職場なのに後輩はどんどん職場恋愛とか職場結婚とかしてるのに俺には何もなかった。仕事はいわゆる非正規だが、真面目で大きなミスもしないが正社員になれるほど優秀でもなかった。制度がないとは言われたが。あげくに仕事こじらせてうつ病になって失業した。この歳になるまで愛してくれる女性に一度も出会えなかった。守るべき家族もいない。何もない。だから俺の遺伝子はここで終わる。それはいい。終わった方がいい。だがそもそもなぜ俺は生まれてきたのだ。こんな
※追記あり 少し長くなるが、良かったら読んで欲しい。 おれは地方の中堅都市で生まれた。父、母、俺の3人家族だ。 家族には恵まれた。こればかりは自慢だ。 目一杯愛情を受けて育った。幼稚園までは本当に楽しかった。たくさん友人もいた。自分を素直に出せた。だれをおれの存在を否定しなかった。おれは受け入れられていた。 小学校に入る。 ここからおれの人生は歪む。 おれは極度の人見知りだった。 幼稚園の頃は人に配慮することをまで気が回らず素の自分を出せていた。もしかすると友達作りに苦労したが忘れてしまっただけなのかもしれない。 交遊関係がほとんど広がらない、というか広げようともしなかった。さっさと学校から一人で帰っていた。自分でもそれでいいと思っている節があった。一人でいるのは嫌いではなかった。その傾向は3年生くらいから強くなった。幸い、おれは勉強ができた。小さい頃から親が本を買い与えてくれ、もともとも
社会に出た当初は営業成績全国最下位のダメ営業マンだったものの、現在では従業員260名、191店舗の上場会社であるSBIモーゲージの役員に。『今は苦しくても、きっとうまくいく』(横山信治著、PHP研究所)は、そんな波瀾万丈の半生を送ってきた著者による新刊です。 たとえ今は苦しくても、大丈夫です。 きっとうまくいきますから。 長い人生、苦しくて死にたくなる時もあります。 どうして自分だけがうまくいかないのかと嘆く時もあります。 でも、この世は結局うまくいくようにできています。(「はじめに」より) このフレーズにあるとおり、著者が考える「うまくいく」ようになるための44種ものエッセンスを紹介しているわけです。きょうは第1章「人生が大きく変わる考え方」を見てみましょう。 心のありようで、人生は大きく変わる 叱られて「なにくそ、負けるものか!」とがんばる人もいれば、一方には、ふてくされて相手を恨む人
たまには自分でも滑ろうぜ(挨拶) Blades Off; DMC-GX7 Leica DG Summilux 1:1.4/25 ASPH. F2.8 1/40s ISO-800 DxO FilmPack 4.5: Ilford Delta 400 “I want to be remembered as myself, as a figure skater, rather than a gold medalist at Vancouver or a silver medalist at Sochi,” the 23-year-old Kim told a news conference Friday that was packed with Korean media.Yuna Kim wants to be remembered as a skater - The Washington Po
【ソチ聯合ニュース】ソチ冬季五輪のフィギュアスケート女子で銀メダルを獲得したキム・ヨナ(23)は21日、当地のコリアハウスで行われた記者会見で、約10年にわたりライバルとして共に世界のファンの注目を集めた浅田真央に対し、「大変なことがたくさんあったと思う」とねぎらいの言葉を口にした。 キムはこれまで最も記憶に残ったライバルを問われ、迷わず浅田の名前を挙げた。「長い間比較もされ、競争もした。もうそのような競争はしなくなる。私たちのように比較され続け、共に競技した選手は多分ほかにいないだろう」と振り返った。 浅田に掛けたい言葉を問われると、自分が言う立場にないとして言葉を選びながら、「大変なことがたくさんあったと思う」と述べた。 ショートプログラム(SP)でまさかの16位となった浅田はフリーで巻き返し、6位入賞を果たした。浅田はフリーの演技を終えるとこらえ切れずに涙を流した。 キムは「浅田は日
最近、地方の低学歴だけど、そこそこ幸せな「マイルドヤンキー」が話題 http://b.hatena.ne.jp/entry/diamond.jp/articles/-/48951 なので、自分がツイートした内容を少しまとめてみた。 数週間前に、東京の湾岸マンションを渡り歩く(住まいサーフィンする)「湾岸タワマン空中移動族」が話題になったが、 「タワマン族」と「マイルドヤンキー族」の価値観が真逆な気がしてならない。 ★「マイルド・ヤンキー」という概念が最近出来ている。家族の絆を重視、ネットより口コミ重視。 それなりに出生率高く、東京じゃなく地元志向。 ★東京湾岸タワーマンションの「空中移動族」とマイルドヤンキー族の生き方は真逆。 ヤンキー族はタワマン族の生き方は能力的に出来ない一方、 「タワマン族(とその子供)が逆にマイルドヤンキーになれるか?」といえば、能力的・生理的に「無理」だと思う。
朝9時起床。目を覚ます為シャワーを浴び出かける準備をする。朝10時。フレックスタイム制なので出社はせずにスタバでモーニングセットとコーヒーを頼む。マックブックエアーを開き資料作成。データを抽出してビッグデータを分析。社内にまとめあげたデータを送って午後はスポーツジムへ向かう。もちろんタクシーやマイカーだが、健康を気遣ってママチャリでいく。12時。昼時なので空いている。貸し切り同然のジムのプールでバタフライで1キロ泳ぐ。13時。小腹が空いてきたのでフレッシュレスバーガーかモスに行く。マックはまずいから食べない。14時。食べ終わったら自宅に帰ってワイドショーをチェック。世の中もっと報道すべき情報があるだろ!と憤りを感じる。15時。インターネットで情報収集。世の中の真実はインターネットにしか無いと信じてる俺にとってネットはライフラインそのもの。16時。寝る。25時。起きる。夜コンビニへ行きチキン
かつて人類は、文明という武器を手に自分たちにとっての理想の都市を築き上げようとした。様々な趣旨の元、それぞれの思いを胸に、作られたものの、失敗に終わった10のユートピア都市計画が海外サイトにて特集されていた。 そこに散りばめられた様々なアイデアは、今日の我々に少なからず影響を与え続けていることだろう。
職場が変わって半年以上経つが、未だに慣れない。辛い。 仕事内容が大きく変わり、新人同様の動きしかできていないこともある。 が、何より主任との付き合い方がわからない。 主任はとても仕事ができる人で、話や考え方がとても理路整然としている。 傍から見ていると「仕事ができるなぁ。頼りになるなぁ」と思える。 しかし同じチームとしてその主任の下で働くのが辛い。 辛いと思うのは以下の2点だ。 1. 相談ができない 何よりこれが辛いと思う。 職場が変わってすぐの頃は相談をしていた。 しかし相談をすると 「まず○○の意味がわからない。」 「○○ってどういう意図で話している?」 と強い語調で返ってくるため、主任の中にある<正しい言葉><正しい順序><根拠> を提示した上で相談をする必要がある。 例えば以下の内容だ。 私「午前中に会議があるため<とある道具>をお借りしたいのですが、よろしいでしょうか。」 主任「
結婚して、田舎に引っ越してそろそろ一年。 お嫁さんは専業主婦をしていて、いまのところ子なし。 引っ越したのは俺の仕事の都合。 俺は研究者で、パーマネントゲットしての引っ越しなので、いい話ではあった。 しかし、その結果、お嫁さんの地元で、俺らが去年まで住んでいた、わりと華やかな地方中核都市を離れ、 そこから XXX km ほど離れた X 県の第 X の街 (田舎) に移ることになってしまった。 研究者なので、なんの縁もない遠方の田舎に行くこともあり得たし、高齢ポスドクになって失職することもあり得たわけで、 この結果はかなり悪くないと思う。 嫁実家からは隣県だし。俺実家からはクソ遠いけど。 公募に出す時も、内定が出てからも、結婚前のお嫁さんは応援してくれたし喜んでくれた。 で、赴任と同時に新婚生活を始めたわけです。 結婚当初からお嫁さんは、日中ほとんど寝て過ごし、過去のことを思い出しては無駄に
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