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香港と廃墟に関するbeth321のブックマーク (4)

  • 九龍城砦探検記 クーロンズゲート

    10年ほど前まで、香港には九龍城砦(ガウロンセンチャイ)と呼ばれる悪名高き一角がありました。 かつてここには、香港の法律は適用されず香港の警察官も立ち入ることができなかったため、文字通りの「無法地帯」となり、売春や麻薬、博打などあらゆる裏産業がはびこり、「あらゆる犯罪の巣窟」で「一度迷い込んだら二度と出て来れない場所」などとも言われていました。 そんな九龍城砦に私が初めて足を踏み入れたのは、1985年の秋でした。昼でも太陽の光が差し込まず、薄暗くて汚水まみれでかつ臭気が充満した通路をおっかなびっくり歩いて来ました。 九龍城砦は香港の中国返還を前に93年に取り壊され、跡地はのどかな公園になっています。

  • ドイツが撮影した巨大スラム街、九龍城砦(香港)解体直前1989年のドキュメント映像|カラパイア

    九龍城砦は、香港・九龍の九龍城地区のことで、かつてはそこに巨大なスラム街が形成されていたところ。 1898年、イギリスが中国清朝から香港島や九龍に隣接する新界、及びランタオ島をはじめとする香港周辺200余りの島嶼部を99年間租借したのだが、九龍城砦は例外として租借地から除外され清の飛び地となった。後にイギリスの圧力で清軍・官吏等が排除されてしまい、以後中国大陸が中国国民党率いる中華民国となって以降も、事実上どこの国の法も及ばない不管理地帯となったんだ。 香港政庁の力も、英国の管理も及ばないこの地に、中国大陸からの流民がなだれ込みバラックを建設、その後スラム街として肥大化していった。「東洋の魔窟」と呼ばれ、「アジアン・カオス」の象徴的存在となっていた。 1984年の英中共同声明により香港が1997年に中華人民共和国に移譲、返還されることが確定。1984年、香港政庁が九龍城砦を取り壊し、住民を

    ドイツが撮影した巨大スラム街、九龍城砦(香港)解体直前1989年のドキュメント映像|カラパイア
  • 解体間近の九龍城砦のリアルを撮影した写真(1987年〜1990年) : カラパイア

    現在の香港・九龍の九龍城地区に造られた九龍城砦は、イギリスの租借地から除外されたことにより、事実上どこの国の法も及ばない不管理地帯となり、巨大なスラム街が形成されていた。1990年に解体される直前では、0.026km2の僅かな土地に5万人もの人々がひしめき合っており、人口密度は約190万人/km2と世界で最も高い地区であった。これは畳1枚に対して3人分の計算である。 そんな九龍城砦の解体間近の姿を撮影したのは、カナダの写真家であるグレッグ・ジラールだ。 ジラールは、仲間の写真家であるイアン・ランボットと共に撮影したこれらの写真を、「City of Darkness: Life in Kowloon Walled City 」という写真集にて発表した。 画像の一部はかつてカラパイアで紹介したことのあるものだが、改めてここで見ていくことにしよう。かつてそこには、無計画な増築による複雑な建築構造

    解体間近の九龍城砦のリアルを撮影した写真(1987年〜1990年) : カラパイア
  • 在りし日の九龍城砦とそのスラム街に住む人々の様子がわかる画像 : カラパイア

    九龍城砦(正式名称:九龍寨城)は、1994年まで存在していた香港・九龍の九龍城地区にあった城塞及びそこにあった巨大なスラム街のことである。 香港がイギリスの租借地だった時代、九龍城砦だけは例外として租借地からはずされていたために、中国にも、イギリスにも法治権がなく、文字通りの「無法地帯」であった為、あらゆる犯罪の巣窟で、一度迷い込んだら二度と出て来れない場所と揶揄されるほどの、東洋一の魔窟でありスラム街だったという。 そんな当時の九龍城砦全景と、そこに住む人々の様子がわかる映像が公開されていた。

    在りし日の九龍城砦とそのスラム街に住む人々の様子がわかる画像 : カラパイア
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