日本の歴史や文化をテーマにした総合展示・企画展示のほか、生活にかかわる植物をみる「くらしの植物苑」など、歴博ならではの展示を紹介します。 第1展示室先史・古代 第2展示室中世 第3展示室近世 第4展示室民俗 第5展示室近代※リニューアル中 第6展示室現代
世の中のほとんどの人間は、馬鹿でもない代わりにさほど賢くもなく、独創的なこともしない代わりに独りよがりなこともしない、ということは我々が日々実感するところですが、こと歴史に関しては「名君/暗君」「文明/野蛮」「進歩/退嬰」の二分論で切り分けたくなるのもまた然り。専門の歴史学者もこうした二分論から完全に自由にはなっていないのですが、しかし、これはちょっと如何なものかと。 いま使われている歴史の教科書では聖徳太子の事績や実在に疑問がつけられたり、鎌倉幕府の成立が1192年ではなくなっている。「いいくに作ろう鎌倉幕府」は今や「いいはこ(1185年)作ろう鎌倉幕府」になっているのだ。 そして、教科書の変化で目に付くのは、人物評価の「上がった人」「下がった人」の明暗である (中略) 劇的に評価が上がったのが、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉である。1988年版にはこうある。 〈生類憐みの令をだして犬や鳥
「日本はもう経済成長しないのだから、江戸時代のような定常社会に戻ればいい」というひとがいます。市場原理主義の世の中より、近代以前の社会のほうがずっと人間らしい暮らしができるというのです。 「歴史人口学」という新しい歴史学では、宗門改帳などの資料を使って過去の人口動態を研究しています。ひとびとの移動や人口の増減から見ると、江戸の暮らしはいったいどのようなものだったのでしょうか。 歴史学者は、ここで奇妙な現象を発見しました。江戸時代はほとんどの地域で人口が増えているものの、なぜか関東地方と近畿地方だけ人口が減っているのです。この二地域には、江戸と京・大坂という100万都市があります。なぜ地方で増えた人口が、都市で減っているのでしょうか? それは、当時の都市の暮らしがきわめて劣悪だったからです。 農家では、干拓などによる農地の拡大がないかぎり、長男以外は出稼ぎに出されます。もっとも多かったのが奉
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