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Internetと考え方に関するbeth321のブックマーク (6)

  • OSI参照モデルの思い出 - Still Life

    春の情報処理試験を受けます。 今、春の情報処理試験に向けて、ちょこっとだけ勉強しています。はてブにハマり過ぎてて難しいですが。 テキストをバラして持ち歩いてます 情報処理試験は、朝から夕方まで、4部に分けて何時間も挑む、1日勝負の試験です。午前は4択で共通の基礎問題、午後は各専門科目の筆記です。わたしはデータベースの試験を受けます。 午前の試験は、一つ前の段階である「応用情報処理」とも共通した4択なので、来は基礎的で楽勝レベルのはずですが、わたしは常にギリギリ低空飛行で乗り切って来た上、すっかり忘れているので、完全に最初から勉強している状態です。まじやばいです。 苦手な問題 さてそうして勉強していると、いつもつい回避してしまう苦手な必須問題が出てきます。長らくわたしにとってのそれは、2進数の計算でした。今は基礎的すぎるのか、そんな問題は目にしなくなりました。 よし、やり過ごした! という

    OSI参照モデルの思い出 - Still Life
  • 高校生ネット利用者の半数「ネット上の情報の正しさを確認する方法が分からない」 中学生では4割

    高校生ネット利用者の半数「ネット上の情報の正しさを確認する方法が分からない」 中学生では4割
  • ネットで増える“私刑”は許されるのか?(THE PAGE) - Yahoo!ニュース

    中古品やマンガを販売する「まんだらけ」(東京都中野区)が、万引き犯人の顔写真の公開を予告し、話題になった。今回に限らず、このところネットで「悪い人」を懲らしめようとする動きが相次いでいるようだ。このような行為は、いったい何が問題なのだろうか? かつてアメリカで「私刑」が公然と行われていた時代がある。中日新聞(2011年3月11日)によると、18世紀のバージニア州で、ある人物の一味が私設の法廷を開設した。彼らは次々と「悪い人」を捕らえて裁き、絞首台送りにしていった。その人物の名は、ウイリアム・リンチ大佐。彼の名「リンチ」がやがて、「私刑」「集団による制裁」をそのまま意味するようになる。 だが、近代の法治国家では、「私刑」は認められていない。日大通り法律事務所(横浜市)の喜多英博弁護士は「日は法治国家ですから、人を罰するときは、警察が捜査をし、裁判所が証拠を見て犯罪事実の有無を認定します

    ネットで増える“私刑”は許されるのか?(THE PAGE) - Yahoo!ニュース
  • 役に立たないインターネット

    新たな知識をインターネットに求めるのはやめたほうがいいという話。 すこし前まで、ぼくの関心は IT にあった。思えば癖のようなものだった。なにか興味がわいたときにはインターネットで調べれば、いつでもそれなりに優れた情報に、そう時間をかけることもなく辿りつくことができた。それはたとえばプログラミング言語の公式ドキュメントだったし、あるいは通信の規格だった。いつでもぼくはインターネットで、求めるものを見つけ出すことができた。そんなこともあって、たぶんぼくは勘違いしていたのだ。調べた先に求めるものがあると。しばらくしてぼくの関心は、IT とは特別かかわりのない分野へも向かった。ある意味でこれは不幸だったのかもしれない。インターネットには IT の円があった。そして、ぼくはずっとその中で生きていた。求めるものがそこにはあった。一歩、そう当にたったの一歩でいい、たったそれだけでも円から外へと踏み出

  • 「インターネット以前」の人の感覚 - 24時間残念営業

    2013-01-14 「インターネット以前」の人の感覚 雪でバイトが店に来れなくなってうとうとしかけたところを叩き起こされ店に来たMK2ですみなさまいかがお過ごしですか。俺はなにを恨むわけにもいかず、今日も世界への憎悪を募らせております。具体的には爆弾低気圧が悪い。積雪マニアとしては爆弾低気圧はわくわくするものですが、自分に実害あるといきなり腹立つ。いいかげんなもんだ。 しかしまあもうじき家に帰れるのでなにもかも許せる気分になってきました。気分もよくなってきたところで今日も簡易アクセス解析を見ることにします。 いまの俺ははてなブログを使ってるわけですが、デザインと、表示エントリの数なんかは多少いじったんですが、それ以外はデフォルトのまま放置しております。それで「なんか最近はやっぱりツイッター経由が多いんだなあ、SNSの時代なんだなあ」などとクソ呑気に考えておりましたら、下のほうにツイッター

  • 第2次インターネット開拓時代の終わりとこれから - novtan別館

    ここ1ヶ月に沢山のウェブ的事件が勃発した。これを時代を象徴する事件と捉えると、これまで続いてきた第2次開拓時代(勝手に命名)の終わりが近いのかな、と思う。第1次がインターネットの一般化(1995〜)とすると、第2次はGoogleとウェブアプリの隆盛(大体2001〜から2003〜スタート)、ここから今に至るまでにクラウドによるスタートアップの簡素化やらなにやらありますが大雑把に捉えるとこんな感じだと思う。ダウンロード違法化も時代の終わりの一つの象徴だろう。 開拓時代というのは、色々なものが未整備で、とにかく先に進むという価値観が何よりも優先されるもの。行く手には(実は先住民がいたりはするものの)文明はなく、法律も実質的には機能せず、先行者利益がとにかく大きい世界。秩序を保つのは簡単ではなく、必要悪として私的なルール、他者の排除、そして戦争が許容される世界。 とにかくやる、というのが優先される

    第2次インターネット開拓時代の終わりとこれから - novtan別館
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