![Amazon.co.jp: ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む (ちくま学芸文庫 ノ 3-1): 野矢茂樹: 本](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/13ab557fb6e109a3a174bb04b84d7b3491830fea/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41ongHn1DbL._SL500_.jpg)
ハイデガーやメルロ=ポンティーの研究で知られる哲学者・木田元さんが自身の生涯を振り返った一冊だ。80歳になる木田さんは、戦後の混乱期に闇商売やテキヤ稼業に身を染め、それで家族の生活費を賄うなど、人生の回り道を重ねて哲学の道に入った。 哲学への入り方も変わっていた。闇商売で一山当てて生活費の問題がなくなったため、何か勉強しようとして、たまたま紹介された農業専門学校(現在の山形大学農学部)に入る。しかし、別に農業がしたくて入ったわけではなく、何をしたいのか分からないまま悶々とした日々を送ることになった。 2浪以上して入学した学生を積極的に採用 父親の影響で読書は大好きだったので、自然と時間を見つけては読書に励むようになった。中でもドストエフスキーの虜となり、『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』など手当たり次第に読みふけった。 絶望した人を描くことが多かったドストエフスキーの関連から
ちょっと前のことになるが「おまえが若者を語るな!(後藤和智)」(参照)がネットで少し話題になっていたので読んでみた。よくわからない本だった。賛否以前に、この書籍で何が問題なのかという部分でまったく共感できなかった。というか率直に言うとつまらなかった。ただ、このつまらさは著者の論のつまらなさというより、批判対象とされる部分のつまらなさということだ。巻末に参考書がずらっとリストされているのだが、いくつかの社会学的な分析を除けば、よくここまでつまんない本をきちんと読んで論が書けるものだなという敬服感すらあった。 なんなんだろうこの感じはと思って、あとがきに達して少し得心した。 多くの読者は、なぜ今更宮台真司などという、ほととんど忘れ去られた論者を批判するのか、と思われるかもしれない。 まさにその通りで、宮台真司の90年代の議論というのは忘却していいだけのものなのではないか。と、思いながらふと思い
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