2010年9月24日のブックマーク (1件)

  • 久生十蘭 予言

    安部忠良の家は十五銀行の破産でやられ、母堂と二人で、四谷谷(たに)町の陽あたりの悪い二間きりのボロ借家(しゃくや)に逼塞していた。姉の勢以(せい)子は外御門(そとみかど)へ命婦(みょうぶ)に行き、七十くらいになっていた母堂が鼻緒の壺縫いをするというあっぷあっぷで、安部は学習院の月謝をいくつもためこみ、どうしようもなくなって麻布中学へ退転したが、そこでもすぐ追いだされ、結局、いいことにして絵ばかり描いていた。 二十歳になって安部が襲爵した朝、それだけは手放さなかった先考(せんこう)の華族大礼服を着こみ、掛けるものがないのでお飯櫃(はち)に腰をかけ、「一ノ谷」の義経のようになって鯱(しゃち)こばっていると、そのころ、もう眼が見えなくなっていた母堂が病床から這いだしてきて、桐の紋章を撫で、ズボンの金筋にさわり、 「とうとうあなたも従五位になられました」 と喜んで死んだ。 安部は十七ぐらいから絵を