ブックマーク / www.aozora.gr.jp (16)

  • 田中貢太郎 あかんぼの首

    赤インキの滲んだやうな暑い陽の光があつた。陽の光は谷の下の人家の塀越しに見える若葉を照らしてゐた。若葉の中には塩竈桜か何かであらう、散り残りの白いあざれたやうな花弁があつて、それが青味だつて吹いて来る風に胡蝶のやうにちらちらと散つた。花弁は崖の上の蕗の葉の上にも落ちた。 電車の乗換場の土雨はぬる湯で拭いた顔や襟にまだ滲んでゐるやうな気がした。電車の交叉点の一方は赤煉瓦塀の高い工場になつてゐた。塀に沿うて街路樹の鈴懸の若葉があつた。若葉の枝は狂人のやうに風のために踊つてゐた。黄色に見える土雨はその四辺に佗しい色彩を施してゐた。京子は正午前に行つて来た病院の往きかへりの路のことを浮べてゐた。 京子は重い頭を左枕にして寝てゐた。薄青い電燈の光が掻巻にくるまつた彼女の姿をげんなりと照してゐた。床の中は生暖かで、ほこりのある体をぢつと一所に置いてゐると、その個所が熱ざして来るやうな気持になつた。彼は

  • 牧逸馬 ヤトラカン・サミ博士の椅子

    1 マカラム街の珈琲(コーヒー)店キャフェ・バンダラウェラは、雨期の赤土のような土耳古(トルコ)珈琲のほかに、ジャマイカ産の生薑(しょうが)水をも売っていた。それには、タミル族の女給の唾(つば)と、適度の蠅(はえ)の卵とが浮かんでいた。タミル人は、この錫蘭(セイロン)島の奥地からマドラスの北部へかけて、彼らの熱愛する古式な長袖着(キャフタン)と、真鍮(しんちゅう)製の水甕(みずがめ)と、金いろの腕輪とを大事にして、まるで瘤牛(ジイプ)のように山野に群棲(ぐんせい)していた。それは「古代からそのままに残された人種」の一つの代表といってよかった。彼らは、エルカラとコラヴァとカスワとイルラの四つの姓閥(ケイスト)からできあがっていた。そして、そのどれもが、何よりも祖先と女の子を尊重した。祖先は、タミル族に、じつは彼らが、あの栄誉ある古王国ドラヴィデアの分流であることを示してくれるのに役立ったから

  • 中島敦 狐憑

    ネウリ部落のシャクに憑(つ)きものがしたといふ評判である。色々なものが此の男にのり移るのださうだ。鷹だの狼だの獺だのの靈が哀れなシャクにのり移つて、不思議な言葉を吐かせるといふことである。 後に希臘人がスキュティア人と呼んだ未開の人種の中でも、この種族は特に一風變つてゐる。彼等は湖上に家を建てて住む。野獸の襲撃を避ける爲である。數千の丸太を湖の淺い部分に打込んで、其の上に板を渡し、其處に彼等の家々は立つてゐる。床(ゆか)の所々に作られた落し戸を開(あ)け、籠を吊して彼等は湖の魚を捕る。獨木舟を操り、水狸や獺を捕へる。麻布の製法を知つてゐて、獸皮と共に之を身にまとふ。馬肉、羊肉、木苺、菱の實等を喰ひ、馬乳や馬乳酒を嗜む。牝馬の腹に獸骨の管を插入れ、奴隸に之を吹かせて乳を垂下らせる古來の奇法が傳へられてゐる。 ネウリ部落のシャクは、斯うした湖上民の最も平凡な一人であつた。 シャクが變(へん)

  • 小川未明 金の輪

    太郎は長いあいだ、病気(びょうき)でふしていましたが、ようやく床(とこ)からはなれて出られるようになりました。けれどまだ三月の末で、朝と晩には寒いことがありました。 だから、日のあたっているときには、外へ出てもさしつかえなかったけれど、晩がたになると早く家へはいるように、おかあさんからいいきかされていました。 まだ、さくらの花も、ももの花も咲くには早うございましたけれど、うめだけが、かきねのきわに咲いていました。そして、雪もたいてい消えてしまって、ただ大きな寺のうらや、畑(はたけ)のすみのところなどに、いくぶんか消えずにのこっているくらいのものでありました。 太郎は、外に出ましたけれど、往来(おうらい)にはちょうど、だれも友だちが遊んでいませんでした。みんな天気がよいので、遠くの方まで遊びに行ったものとみえます。もし、この近所であったら、自分も行ってみようと思って、耳をすましてみましたけれ

  • 泉鏡花 春昼

    「お爺(じい)さん、お爺さん。」 「はあ、私(わし)けえ。」 と、一言(ひとこと)で直(す)ぐ応じたのも、四辺(あたり)が静かで他(た)には誰もいなかった所為(せい)であろう。そうでないと、その皺(しわ)だらけな額(ひたい)に、顱巻(はちまき)を緩(ゆる)くしたのに、ほかほかと春の日がさして、とろりと酔ったような顔色(がんしょく)で、長閑(のど)かに鍬(くわ)を使う様子が――あのまたその下の柔(やわらか)な土に、しっとりと汗ばみそうな、散りこぼれたら紅(くれない)の夕陽の中に、ひらひらと入(はい)って行(ゆ)きそうな――暖(あたたか)い桃(もも)の花を、燃え立つばかり揺(ゆす)ぶって頻(しきり)に囀(さえず)っている鳥の音(ね)こそ、何か話をするように聞こうけれども、人の声を耳にして、それが自分を呼ぶのだとは、急に心付(こころづ)きそうもない、恍惚(うっとり)とした形であった。 こっちもこ

    bibidebabide
    bibidebabide 2012/11/04
    澁澤龍彦 ドッペルゲンガー http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/1174_20553.html
  • 作家別作品リスト:古川 緑波

    公開中の作品 ああ東京はい倒れ (新字新仮名、作品ID:52318) 浅草をべる (新字新仮名、作品ID:52319) 色町洋 (新字新仮名、作品ID:52320) うどんのお化け (新字新仮名、作品ID:52321) 想い出 (新字新仮名、作品ID:52317) 甘話休題 (新字新仮名、作品ID:52322) 牛鍋からすき焼へ (新字新仮名、作品ID:52323) 下司味礼賛 (新字新仮名、作品ID:52324) 神戸 (新字新仮名、作品ID:52325) 氷屋ぞめき (新字新仮名、作品ID:52326) このたび大阪 (新字新仮名、作品ID:52327) 清涼飲料 (新字新仮名、作品ID:52328) 駄パンその他 (新字新仮名、作品ID:52330) べたり君よ (新字新仮名、作品ID:52329) 売薬ファン (旧字旧仮名、作品ID:60474) 八の字づくし (新字新仮名

  • 村山槐多 悪魔の舌

    (一) 五月始めの或晴れた夜であつた。十一時頃自分は庭園で青い深い天空に見入つて居ると突然門外に当つて『電報です。』と云ふ声がする。受取つて見ると次の数句が記されてあつた、『クダンサカ三〇一カネコ』『是は何だらう。三〇一と云ふのは。』実に妙に感じた。金子と云ふのは友人の名でしかも友人中でも最も奇異な人物の名であるのだ。『彼奴は詩人だから又何かの謎かな。』自分は此不思議な電報紙を手にして考へ始めた。発信時刻は十時四十五分、発信局は大塚である。どう考へても解らない。が兎に角九段坂まで行つて見る事にし着物を着更へて門を出た。 吾住居から電車線路までは可成りある。その道々自分はつくづくと金子の事を考へた。丁度二年前の秋、自分は奇人ばかりで出来て居る或宴会へ招待された際、彼金子鋭吉と始めて知合になつたのであつた。彼は今年二十七歳だから其時は二十五歳の青年詩人であつたが、其風貌は著るしく老けて見え、そ

  • 夢野久作 父杉山茂丸を語る

    白ッポイ着物に青い博多織の帯を前下りに締めて紋付の羽織を着て、素足に駒下駄(こまげた)を穿(は)いた父の姿が何よりも先に眼に浮かぶ。その父は頭の毛をクシャクシャにして、黒い関羽鬚(かんうひげ)を渦巻かせていた。 筆者は幼少から病弱で、記憶力が強かったらしい。満二歳の時に見た博多駅の開通式の光景を故老に話し、その夜が満月であったと断言して、人を驚かした事がある位だから……。 だからそうした父の印象も筆者の二歳か三歳頃の印象と考えていいらしい。父が二十七八歳で筆者の生地福岡市住吉(すみよし)に住んでいた頃である。この事を母に話したら、その通りに間違いないが、帯の色が青かったかどうかは、お前ほどハッキリ記憶していない、お祖父(じい)様の帯が青かったからその思い違いではないかと云った。 その父が三匹の馬の絵を描(か)いた小さな傘を買って来てくれた。すると間もなく雨が降り出したので、その傘をさしてお

  • 中島敦 名人伝

    趙(ちょう)の邯鄲(かんたん)の都に住む紀昌(きしょう)という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。己(おのれ)の師と頼(たの)むべき人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手・飛衛(ひえい)に及(およ)ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔(へだ)てて柳葉(りゅうよう)を射るに百発百中するという達人だそうである。紀昌は遥々(はるばる)飛衛をたずねてその門に入った。 飛衛は新入の門人に、まず瞬(またた)きせざることを学べと命じた。紀昌は家に帰り、の機織台(はたおりだい)の下に潜(もぐ)り込(こ)んで、そこに仰向(あおむ)けにひっくり返った。眼(め)とすれすれに機躡(まねき)が忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見詰(みつ)めていようという工夫(くふう)である。理由を知らないは大いに驚(おどろ)いた。第一、妙(みょう)な姿勢を妙な角度から良人(おっと)に覗(のぞ)かれては困るという。

  • 平林初之輔 雑文一束

    郵便をポストへ入れると、すぐにはたして郵便がポストの中へうまく落ちたかどうかが気になる。宛名を書き忘れていはしないかということが気になる。満足にポストの中へはいっており、宛名も正確に書いてあるとしても、それが雲煙(うんえん)万里(ばんり)を隔てた目的地へ間違いなく行きつく可能性は甚だ乏しいような気がする。西洋人はビジネスの手紙は二通ずつ出すということを聞いたが、二通出せばプロバビリティが二倍になるわけだからいくらか安心ができる勘定だ。しかし同時に二通出すよりも半日位間をおいて二通出す方がプロバビリティはより大きい。何となれば、同じ時に二通出せば同じ原因のために二通とも不着になるわけだからである。神経衰弱のひどい時分に、私もこういう経験をしたことがある。何しろ、その時は、沢山の手紙が間違いなく宛先へつくのが奇跡のように思われたものだ。 ブランキという人は、十九世紀の中葉にフランスの政府が悪魔

  • 久生十蘭 予言

    安部忠良の家は十五銀行の破産でやられ、母堂と二人で、四谷谷(たに)町の陽あたりの悪い二間きりのボロ借家(しゃくや)に逼塞していた。姉の勢以(せい)子は外御門(そとみかど)へ命婦(みょうぶ)に行き、七十くらいになっていた母堂が鼻緒の壺縫いをするというあっぷあっぷで、安部は学習院の月謝をいくつもためこみ、どうしようもなくなって麻布中学へ退転したが、そこでもすぐ追いだされ、結局、いいことにして絵ばかり描いていた。 二十歳になって安部が襲爵した朝、それだけは手放さなかった先考(せんこう)の華族大礼服を着こみ、掛けるものがないのでお飯櫃(はち)に腰をかけ、「一ノ谷」の義経のようになって鯱(しゃち)こばっていると、そのころ、もう眼が見えなくなっていた母堂が病床から這いだしてきて、桐の紋章を撫で、ズボンの金筋にさわり、 「とうとうあなたも従五位になられました」 と喜んで死んだ。 安部は十七ぐらいから絵を

  • 辻潤 だだをこねる

    1 こねたところでまるめてみたところできなこはきなこである。かんでみたところでなめてみたところでマメはマメである。時に、ひどく欠伸がでてこまりもしないけれどなんにしてもやりきれない生活感情であることよ! おもしろくないことおびただしいので、私はつねにねそべってバットでも吹かしているのがこの上もない、パライソなのである。その上きれいな水とリンゴと青いものと小鳥の声でもあれば、申し分はない。おれは都会をすかん、ただある因縁によってしばらくがまんしているだけの話だ。私は五十年おふくろとつき合ってみたがまったく女というものはバカでこまるよ。そのバカなおふくろのおなかから生まれた私がどうしてバカでない道理があるものか? ザマア見ろ! てんだ。 2 おれには自分ひとりを支えてゆく能力さえないが別段恥かしくもおかしくもなんともない。おふくろやこどもでもいなかったら、とうにどこかで野晒(のざらし)になって

  • 幸田露伴 ねじくり博士

    当世の大博士にねじくり先生というがあり。中々の豪傑、古今東西の書を読みつくして大悟(たいご)したる大哲学者と皆人恐れ入りて閉口せり。一日某新聞社員と名刺に肩書のある男尋ね来り、室に入りて挨拶するや否(いな)、早速、先生の御高説をちと伺いたし、と新聞屋の悪い癖で無暗(むやみ)に「人を物(くいもの)にする」会話を仕出す。ところが大哲学者もとより御人好(おひとよし)の質(たち)なれば得意になッて鼻をクンクンいわせながら饒舌(しゃべ)り出す。どうも凡人は困りますよ、社会を直線ずくめに仕たがるのには困るよ。チト宇宙の真理を見ればよいのサ。政事家は政事家で、自己の議論を実行して世界を画一のものにしようなんという馬鹿気(ばかげ)ているのが有るし。文人は文人で自己流の文章を尺度にしてキチンと文体を定(き)めたがッたり、実に馬鹿馬鹿しい想像をもッているのが多いから情ないのサ。親父は親父の了簡で家をキチンと

  • 久生十蘭 昆虫図

    伴団六は、青木と同じく、大して才能のなさそうな貧乏画かきで、地続きの古ぼけたアトリエに、年増くさい女と二人で住んでいた。 青木がその裏へ越して以来の、極く最近のつきあいで、もと薬剤師だったというほか、くわしいことは一切(いっさい)知らなかった。 職人か寄席芸人かといったように髪を角刈(かくがり)にし、額を叩いたり眼を剥(む)いて見せたり、ひとを小馬鹿にした、どうにも手に負えないようなところがあって、これが、最初、青木の興味をひいたのである。 細君のほうは、ひどく面長な、明治時代の女官のような時代おくれな顔をした、日蔭の花のような陰気くさい女で、蒼ざめたこめかみに紅梅色の頭痛膏を貼り、しょっちゅう額をおさえてうつ向いていた。吉原にいたことがあるという噂だった。 どういういきさつがあるのか、思い切って素(そ)っ気(け)ない夫婦で、ときどき、夜半(よなか)ごろになって、すさまじい団六の怒号がきこ

  • 北大路魯山人 鮎の食い方

  • 太宰治 畜犬談 ―伊馬鵜平君に与える―

    私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰(く)いつかれるであろうという自信である。私は、きっと噛(か)まれるにちがいない。自信があるのである。よくぞ、きょうまで喰いつかれもせず無事に過してきたものだと不思議な気さえしているのである。諸君、犬は猛獣である。馬を斃(たお)し、たまさかには獅子(しし)と戦ってさえこれを征服するとかいうではないか。さもありなんと私はひとり淋しく首肯(しゅこう)しているのだ。あの犬の、鋭い牙(きば)を見るがよい。ただものではない。いまは、あのように街路で無心のふうを装い、とるに足らぬもののごとくみずから卑下して、芥箱(ごみばこ)を覗(のぞ)きまわったりなどしてみせているが、もともと馬を斃すほどの猛獣である。いつなんどき、怒り狂い、その性を暴露するか、わかったものではない。犬はかならず鎖に固くしばりつけておくべきである。少しの油断もあってはならぬ。世の多

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