仲田天使。のBACK TO THE 80's! @nakadatenshi 70年代、チビッコの頃、デパートの最上階にはこんな食堂があって、家では食べれないお子様ランチやクリームソーダに胸が高鳴った。活気あふれる店内は沢山の人で賑わってて、今思うとささやかだけど、贅沢で幸せな時間だったんだと今はわかる。昭和なあの頃。 #70年代 #昭和レトロ pic.twitter.com/2TOPlAiAlF 2020-06-24 23:19:32
佐々木俊尚 @sasakitoshinao 1976年山田太一原作田宮二郎主演TBSドラマ「高原へいらっしゃい」を見ると、ホテルに接待ゴルフか何かで泊まりに来て「麻雀したい」「(スタッフの)お姉ちゃんをここに座らせろ」みたいな乱暴狼藉する会社員グループが出てきて驚く。 2018-02-03 16:25:47 佐々木俊尚 @sasakitoshinao 八ヶ岳の高原ホテルが舞台の「高原へいらっしゃい」には、これから初めての海外旅行に行くので事前勉強にと高原のホテルに泊まりに来る農協団体もいて、これは好意的に描かれるんだけど、ホテルのダイニングで浪曲をみんなで大声で歌ったり、何というかびっくり。 2018-02-03 16:25:47
2014年11月28日00:00 昭和のおっさん「FF7すげー!!!まるで実写みたいだ!!」←これマジ? Tweet 1:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/11/20(木) 13:43:34.60 ID:BQV2Rbe7HAPPY.net かわいそう… 転載元:http://viper.2ch.sc/news4vip/kako/1416/14164/1416458614.html ゲームのドット絵って「芸術」だよな http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4668566.html 4:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/11/20(木) 13:45:00.88 ID:ct/pJcPkHAPPY.net FF10でびっくらこいてた奴も10年後には老人扱いされるのか 5:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:
どうも、服部です。昭和30年代を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や、その続編「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の頃は本当に良い時代だったのか、当時のニュース映像で検証した前回記事「『これ本当に日本?』と驚く昭和30年代の日常まとめ1」の続きです。 前回記事では、鉄道事情・道路事情・タクシーやトラックの運転マナー事情を見て、交通事情に関していえば、昭和30年代は良い時代ではなかったかもしれないと結びました。 今回の記事では昭和30年代の住宅事情、治安、衛生面について書きたいと思います。 ●【住宅事情】引っ越したいけど引っ越せない、超格差な住宅事情(昭和31年) 「大都会を空から眺めますと、立て込んだ家の間にアパートの集団住宅が目立つようになりました」というナレーションでニュース映像は始まります。田んぼや畑が広がっていて、現代に生きる者には、ちょっと大都会には思えませんが……。 団
歌の神様は、一世を風靡(ふうび)した歌手がこの世を去る間際に、素晴らしいプレゼントを贈るのが、お好きなようである。 美空ひばりさんには「川の流れのように」、石原裕次郎さんには「我が人生に悔いなし」を。そして島倉千代子さんは、亡くなる3日前に「奇跡の歌声」(南こうせつさん)で、「からたちの小径(こみち)」をレコーディングした。 島倉さんのヒット曲は数あれど、代表曲を1つだけ選ぶとすれば、「東京だョおっ母さん」(昭和32年)を挙げたい。 老いた母を故郷を出て久しい娘が東京見物させる、という野村俊夫さんの歌詞に、船村徹さんのメロディーがぴったりとあい、150万枚の大ヒットとなった。 だが、35回も出場したNHK紅白歌合戦で、島倉さんが「東京だョおっ母さん」を歌う機会はついぞこなかった。 この話は、先月19日付の産経抄でも書いているが、こんなに早くお千代さんが旅立ってしまうとは夢にも思わなかった。
1963年は、日本初の30分TVアニメシリーズ『鉄腕アトム』が放映開始された年である。 1月1日の18時15分、フジテレビにて本作はスタート。製作を手がけたのは、漫画の神様・手塚治虫率いる虫プロダクションだ。無類のデイズニーファンとして知られ、以前からアニメーション制作に強い関心を抱いていた手塚は、東映動画の劇場用長編作品『西遊記』(60)への参加を経て、61年、自宅の敷地内に自身のスタジオを設立した。実験映画的な短編『ある街角の物語』(62)に続き、わずか40名強の少人数スタッフとともに、この『鉄腕アトム』に着手。週1回、30分放映というTVシリーズの制作ペースは、当時の同業者の眼には無謀とも映る挑戦であった。それを可能としたのは、“3コマ撮り”を主体とした作画や“口パク”“バンクシステム”など兼用セルの多用などによる徹底した作画枚数節減の試みであり、同時に手塚自らがTV局及び代理店に当
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