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ブックマーク / number.bunshun.jp (27)

  • 「絶対無理」のイチローより可能性大?日本人初のメジャー監督を目指す男。(宮寺匡広)

    「監督は絶対無理ですよ。これは“絶対”がつきますよ」 3月21日の引退会見で、イチローは将来の監督就任を否定した。殿堂入り確実な実績からすれば、日人初のメジャーリーグ監督の最右翼だと思うのだが……。 しかし、その裏でメジャー初の日人監督の座を目指し、日々奮闘している者がいる。昨年からミネソタ・ツインズ傘下のルーキーリーグ、エリザベストン・ツインズでコーチを務める三好貴士だ。 三好の選手としての経歴は、決して輝かしいものではない。メジャーはおろか、マイナーやNPBに所属したこともなく、米独立リーグが彼の選手としての最高のキャリアだ。そんな彼が、いかにしてツインズのコーチに就任したのか。 「17歳のときにジャッキー・ロビンソンの伝記を読んで、パイオニアとしての生き方に憧れたんです。ちょうど野茂英雄さんが、ドジャースで活躍されていた時期でもありました。現実的に、アメリカを目指してみたいと思う

    「絶対無理」のイチローより可能性大?日本人初のメジャー監督を目指す男。(宮寺匡広)
    bitgleams
    bitgleams 2019/05/06
    こういうのを読むと引退直後から要職に就けてしまうNPBチームとは厳しさや強さが違うなぁ……。
  • 日本シリーズを制したホークスは、完璧なる世代交代までやってのけた!(鷲田康)

    真っ赤に染まったマツダスタジアムで、平成最後の日シリーズを制したソフトバンクの工藤公康監督が舞った。 15回。 「当に幸せです。シーズン終盤から満身創痍の中で突っ走ってくれた。選手のみんな! 当にありがとう!!」 異例の回数を数えた胴上げに目を真っ赤に染めて、指揮官が声を震わせる。 予想を超える圧勝劇だった。 「2位で悔しい思いをして、みんなが日一になるんだという強い思いがあって、ここまで来られた。勝ちたいという気持ちが、ベンチのみんなの声から伝わってきた。このチームの監督ができて幸せです」 敵地で1敗1分けのスタートだったが、拠地に戻って3連勝で王手をかけ、最後は広島で一気に勝負をつけた。2年連続の日一は、球団史上初のレギュラーシーズン2位からの“下克上”。ただ、その事実がかえってこのチームの底力を感じさせるものでもあった。 今季ホークスの象徴「甲斐拓也」。 今年のソフトバン

    日本シリーズを制したホークスは、完璧なる世代交代までやってのけた!(鷲田康)
  • 五輪金メダルは最上位目標ではない!?「突け、心を」を説くフェンシング協会。(太田雄貴)

    春。新たな気持ちで新生活をスタートさせた方も多いかと思います。 年度が替わり、さまざまなことがリスタートするこの時期、日フェンシング協会も組織として固めるべきことを固め、方向性をより明確にしていこう、そう心がけながら、さまざまな施策に取り組んでいます。 まず、「いまさら何を?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この4月、協会の理念を作り、ようやく着地できるところまで持ってくることができました。 実はこのことは、私が会長に就任したときから手を付けなければならない、と考えていた大きな課題でした。 昨年8月、右も左も分からない中で協会長となった私は、まず「そもそもフェンシングって一体なんだろう」といった、いわばこの競技の原点ともいえる部分について、歴史的背景から立ち戻って勉強しよう、と思い立ちました。 まずは、協会の理念を知っておかなければ……そこで協会のホームページなどを改めてじっ

    五輪金メダルは最上位目標ではない!?「突け、心を」を説くフェンシング協会。(太田雄貴)
  • 太田雄貴が平昌五輪で考えたこと。マイナー競技“好循環”の作り方。(太田雄貴)

    2017年夏、日フェンシング協会会長に就任した太田雄貴。  11月のワールドカップ東京大会(高円宮杯)と12月の全日選手権で前年比10倍以上の観客を集め、LEDパネル導入などメディアを巻き込んでの話題作りにも成功。2020年に向けて、フェンシングをよりメジャーにしていくための取り組みは好スタートを切った、といっていいだろう。 しかし、年が明けてしばらくは、大きな試合もなく、さらなるアピールをしていく機会は限られる。 だからこそ、若き会長は活動指針を常に頭に置きながら、次なる手を打つべく、積極的に世界と向き合っている。 やはり「選手の活躍がすべて」です。 平昌五輪でのチームジャパンは、過去最高のメダル数を獲得し、大成功を収めた、といっていいでしょう。日頃の練習の成果を発揮した選手たちには大きな拍手を送りたいと思います。 そして、大会を通じて、改めて感じたことが一つあります。 「選手の活躍

    太田雄貴が平昌五輪で考えたこと。マイナー競技“好循環”の作り方。(太田雄貴)
  • 「カガワもホンダも素晴らしい」イブラが語った人生、そして日本。 (豊福晋)

    PSGのクラブハウスでおよそ30分のインタビューに応じた。広報担当者もイブラヒモビッチがインタビューを受けることに驚いて連絡をしてきたという。 モウリーニョと話したときと似た、ある感覚。 サガン鳥栖の播戸竜二からの質問への答えも印象に残っている。それは「キャリア後は何をするのか」というものだった。 「正直にいって考えていないんだ。というか、プランニングをしないようにしている。これまでは割と計画を練ってきたんだが、何かをプランする度に別の人生になっていった。色んなクラブを渡り歩いてね。だからなるようになるさと運命に任せている。引退後は、もしかしたら監督になるかもしれないが、何とも言えないな」 あっという間に時間は過ぎ去っていった。 取材後、昨年10月にロンドンでモウリーニョと話したときと似たものを感じた。 イメージと、実際に対話をした際に感じるギャップ。彼らは、問題児でもバッドボーイでもない

    「カガワもホンダも素晴らしい」イブラが語った人生、そして日本。 (豊福晋)
    bitgleams
    bitgleams 2018/01/22
    > 「本当に大事なことはメディアの中にはなくて、生身の人間が言ってくれる言葉にあるんだ」
  • <ベストFW・独占インタビュー> ズラタン・イブラヒモビッチ 「地球の反対側のジャパニーズへ」(豊福晋)

    人選手が選ぶ現代最高のストライカー。 普段はインタビューを受けない男が自身のキャリア、 現代のフォワード論、そして日について語り尽くす。 パリから連絡が入ったのは、3月の終わりのある午後のことだった。 パリ・サンジェルマンの広報部は、少し驚いたようなトーンでこう伝えてきた。 「イブラが話をしてくれるそうだ! すぐにパリに来てくれ」 一枚のリストを鞄に忍ばせて、空港へ向かった。その紙には、世界中のストライカーたちの名前が書かれてある。一番上にあるのが、ズラタン・イブラヒモビッチの名前だ。 Jリーガーら100人が選ぶ2013-2014シーズンのベストフォワードという誌企画で、イブラヒモビッチが選ばれた。リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウド、ルイス・スアレスら各国の点取り屋を抑え、日の選手たちはイブラヒモビッチを最高のフォワードと定義づけたのである。 いま、日で最も評価される

    <ベストFW・独占インタビュー> ズラタン・イブラヒモビッチ 「地球の反対側のジャパニーズへ」(豊福晋)
  • 人間の体の中身は左右対称ではない。菊池雄星が始めた「左特有の投げ方」。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    プロ野球における大型左腕の伸び悩みが顕著だ。 180cmを優に超え、アマチュア時代には150km近い球速を出していた選手が、プロ入り後なぜか球速が落ちていくケースが多い。 球速ランキングを見ても上位は右投手ばかりで、左投手だと今季158kmをマークした菊池雄星(西武)くらいしか見当たらない。 そんな育成が難しい大型左腕の中で、なぜ菊池は着実に成長しているのか。そのヒントを、彼の取り組みから探りたい。 実は菊池の球速は、今も伸びている。2年前に157kmを計測したが、26歳になった今季、自己最速を更新した。彼が今もなお進化中であることを示す数字だ。 以前から「左と右」の感覚の違いを認識していた。 持続的な成長の陰にはピッチングコーチ・土肥義弘の存在がある。逐一菊池の投球をチェックし、ともにフォームを作り上げる。2人の共同作業がもたらした影響は計り知れない。 2人の信頼関係はもちろん素晴らしい

    人間の体の中身は左右対称ではない。菊池雄星が始めた「左特有の投げ方」。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー
  • 川淵三郎が相撲界の現状に物申す。「協会はその日暮らしをしている」(松本宣昭)

    驚異の81歳。まずその肩書きからして、規格外である。 公益財団法人日サッカー協会最高顧問。 公益財団法人日バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザー。 一般社団法人日トップリーグ連携機構会長。 それ以外にも20以上の肩書があり、サッカー界に留まらず、競技の垣根を超えて組織改革のリーダーシップを求められている。 「Number Sports Business College」第17回のゲスト講師である川淵三郎氏と池田純氏による“しがらみのない”対話は、Bリーグ発足の経緯から始まり、現在世間を騒がせている大相撲の組織改革にまで及んだ。 「なんだよ、俺の努力は一体なんなんだ!」 池田「職のサッカーではなく、バスケットボールのBリーグを立ち上げるときの情熱は、どのへんにあったのですか?」 川淵「それは2014年に、当時82歳だった小浜元孝さんというバスケット日本代表監督だった方が突然僕

    川淵三郎が相撲界の現状に物申す。「協会はその日暮らしをしている」(松本宣昭)
  • なぜ中日はこんなに弱くなったのか。日本ハムの苦境とは全く意味が違う。(伊藤哲也)

    原点回帰――。 至ってシンプルな四字熟語が、森繁和監督が舵を取る新体制発足の今季のチームスローガンだった。 プロ野球の各球団は例年、練りに練ったスローガンを掲げ、その文言を使ったグッズを次々と展開。ソフトバンクの「1(ワン)ダホー!」を筆頭にキャッチーなタイトルが主流だが、中日に限ればそんなエンターテインメント性はほとんど感じられない。 裏返せばチームが危機的状況を迎え、低迷期を脱却しなければ……という意味合いが垣間見える。 副題にあるのは「ゼロからのスタート」だ。 補強がうまく機能していた2000年代。 スローガンを発表した昨年、森監督は「ここ4年はBクラス。今季は最悪なこと(最下位)になりましたので、チームだけでなく球団もファンもゼロに戻って出直して、ファンあっての野球づくり、原点に戻って野球ができる楽しさを喜び合っていきたい」と話した。 ただ、根のチーム作りに関していえば、ゼロに戻

    なぜ中日はこんなに弱くなったのか。日本ハムの苦境とは全く意味が違う。(伊藤哲也)
  • なぜ補欠から突然キャプテンマーク。吉田麻也が試合後の謝罪をやめた理由。(西川結城)

    イブラヒモビッチと激しい1対1を繰り広げた吉田麻也。スピードで振り切られるシーンも激減し、すっかりスタメンに定着している。 眼前にいたズラタン・イブラヒモビッチに、痛烈なタックルを見舞った。相手は転倒し、思わず悶絶。吉田麻也はクールにその場を立ち去った。 「ファーストプレーでガツンとファウルされたので、あれは半分やり返しました」 2月26日。聖地ウェンブリーでのイングランド・リーグカップ決勝。吉田が所属するサウサンプトンはマンチェスター・ユナイテッド相手に互角以上の戦いを演じたものの、終了間際のイブラヒモビッチの決勝弾に沈み、2-3で敗れた。惜しくも頂点には立てなかったが、世界トップレベルのストライカーと堂々と渡り合った90分間を、吉田はこう振り返る。 イブラとの対戦は、ネイマールと同じ感覚だった。 「ああいう世界的なFWは、どれだけマークについても最後に結果を出してくる。勝負を決める選手

    なぜ補欠から突然キャプテンマーク。吉田麻也が試合後の謝罪をやめた理由。(西川結城)
  • 「電通とFIFA」という怪物を読む。W杯を巡るサッカービジネスの奥底。(伊野尾宏之)

    1990年、高校生だった私はある日の深夜、たまたま海外サッカーの中継をNHKで見た。それがワールドカップイタリア大会の開幕戦、アルゼンチンvs.カメルーン戦だった。 「ああ、『キャプテン翼』に出てきた4年に一度開催される国際大会というのはこれかあ」と思った。 試合はダークホースと見られたカメルーンが優勝候補のアルゼンチンに勝利する番狂わせを起こすのだが、翌日、新聞のスポーツ面を開いてもそのことを伝える記事はとても小さく、紙面の大半は同日行われていたプロ野球の結果を伝える記事が占めていた。 1990年の日におけるワールドカップ、世界のサッカーはそのようなものだった。 あれから26年が経ち、日におけるワールドカップ、世界のサッカーに対する立ち位置は劇的に変化した。 ワールドカップ日本代表が出場するのが当然のようになり、自国でも開催した。日本代表の試合は衛星生中継され、試合が行われた日の夜

    「電通とFIFA」という怪物を読む。W杯を巡るサッカービジネスの奥底。(伊野尾宏之)
  • 小倉監督休養は“手遅れ”なのか。楢崎正剛が吐露した名古屋の現状。(安藤隆人)

    小倉体制最後となった柏戦のベンチ。新監督に就任したジュロブスキー氏(右端)の目にはどのように映っているのだろうか。 8月23日、低迷を続ける名古屋グランパスは、小倉隆史監督の休養を発表した。同時に、兼務するGMの仕事もストップすることになり、クラブは今月コーチに復帰したボスコ・ジュロヴスキー氏(ストイコビッチ監督時代のヘッドコーチ)が監督代行を務めることも発表した。 事実上の解任――。 これは驚きではなく、必然の出来事だった。シーズン当初から、監督経験の無い小倉氏にGM兼監督という現場の全権を与えるリスクについて、周りからも不安視する声が上がっていた。それでもクラブは決断した。もちろん成功する可能性もあり、この決断を一概には批判は出来ない。だが、もしうまく行かなかったときのリスクマネジメントを予め講じてこなかったことが問題であった。 決断の時を何度も先延ばしにした結果、制御不能に。 「やる

    小倉監督休養は“手遅れ”なのか。楢崎正剛が吐露した名古屋の現状。(安藤隆人)
  • 「テクニックという言葉は使わない」オランダ発、サッカー再定義の潮流。(木崎伸也)

    「オランダサッカー協会では、テクニックという言葉を使うのをやめて、『サッカーのアクション』という用語に統一しました」 白井裕之(アヤックス育成アカデミーのユース年代専属アナリスト) 元祖・育成大国の逆襲が始まるかもしれない。 昨年6月、オランダサッカー協会(KNVB)はある方針を発表した。オランダの育成の優位性が弱まったことを認め、これからは他国の取り組みにも目を向けることを決めたのだ。 同協会のテクニカルマネージャーのイエレ・フースは会見でこう語った。 「過去10年、15年は世界から多くの人がオランダを訪れ、私たちがどうやって練習し、タレントを育てているかを学んだ。分け隔てなく知識をシェアしてきた。だが同時に国内で、ノウハウを簡単に教えることへの批判があったことも確かだ。その声が正しかった部分はある。今度は私たちがキャッチアップする番だ」 ノウハウを吸収した隣国が育成大国に。 オランダは

    「テクニックという言葉は使わない」オランダ発、サッカー再定義の潮流。(木崎伸也)
    bitgleams
    bitgleams 2016/04/14
    興味深い。あとで精読。
  • 日本代表には、「走る技術」がない?岡崎慎司の専属コーチが語る本質。(木崎伸也)

    「世界がどんどん走るサッカーをしているのに、南アフリカW杯以降、日ではポゼッションという言葉が流行ってしまった」 杉龍勇(岡崎慎司の専属フィジカルコーチ) 日サッカーには何かが足りない――。ブラジルW杯における日本代表の惨敗を見て、多くの人がそう感じたのではないだろうか。 技術水準が上がり、経験も積んで、戦術の引き出しも増えた。なのにW杯で1勝もできなかった。メキシコ人のアギーレが来ても、ボスニア・ヘルツェゴビナ人のハリルホジッチが来ても停滞感が漂い続けているのは、重要な何かが欠けているからに違いない。 そんなことを考えているとき、答えのひとつを示す人物に出会った。 フィジカルコーチの杉龍勇(法政大学教授)だ。 陸上選手だった杉はベルリン留学を経て、清水エスパルスのフィジカルコーチなどを歴任し、2012年から岡崎慎司の専属コーチを務めている。ブラジルW杯前には吉田麻也の指導も行

    日本代表には、「走る技術」がない?岡崎慎司の専属コーチが語る本質。(木崎伸也)
  • 無名高から専門学校を経て初勝利。西武・宮田和希の「長かった」道程。(氏原英明)

    つくづく人生とは分からないものだ。 入団7年目、西武ライオンズの左腕・宮田和希が5月31日に初勝利を挙げた。 専門学校出身の彼がプロで勝利を挙げるなど、誰も想像していなかったに違いない。ヒーローインタビューでの「長かったです」というコメントには、実感がこもっていた。 思い返すのは、宮田の福泉高時代のことだ。 '06年夏の大阪府予選。同年はPL学園にエースで4番の前田健太(現・広島)がおり、大阪桐蔭には2年生スラッガー中田翔(現・日ハム)、そして、公立の星として注目されていたのが後にヤクルト入りする城東工のエース・山田弘喜だった。自身の投げるスライダーを「ダイナマイトスライダー」と命名し、にわかに話題になっていた。 そんな中、部員数がそう多くはなかった福泉高のエースだった宮田は、高3夏の初戦で城東工業と対戦。結果は0-7の8回コールド負け。それも、相手エースの山田に参考記録ながら完全試合を

    無名高から専門学校を経て初勝利。西武・宮田和希の「長かった」道程。(氏原英明)
  • 世界で通用する内野手育成のために、“基本至上主義”から脱却せよ!(鷲田康)

    昨季はヤンキース傘下1Aのチャールストン・リバードッグスでプレーした加藤。二塁手のレギュラーとして121試合に出場した。メジャー昇格へ、20歳の挑戦は続く。 PL学園から1987年のドラフト1位で中日入りした立浪和義内野手のデビューは、高卒内野手としては前代未聞のものだった。 プロ1年目の開幕戦にいきなり「2番・ショート」で先発フル出場。6月までは3割近いアベレージを残し、最終的にも110試合に出場して打率は2割2分3厘ながら22盗塁、21犠打でチームのリーグ優勝に貢献した。 立浪を「高卒1年目」ながらショートというポジションで使えたのは、一にも二にも守れたことだった。ただ、シーズンが夏場に差し掛かった頃に、当時評論家で、後に中日のヘッドコーチとなる一枝修平さんが、こんなことを言っていたのも鮮烈に覚えているのである。 「あの子(立浪)は確かにうまいけどな、一番の欠点は基に忠実すぎることや

    世界で通用する内野手育成のために、“基本至上主義”から脱却せよ!(鷲田康)
  • 新生K-1が65kgトーナメントを開催。見事に受け継がれた伝統と“らしさ”。(橋本宗洋)

    通常は60kg前後のムエタイルールで戦っているゲーオ・フェアテックス(左)。体重の壁もルールの壁もこの男の前では関係なかった。 今年、日に新たなK-1が誕生した。 かつてキックボクシング、K-1で活躍、チームドラゴン代表として数多くの強豪を育成してきた前田憲作がプロデューサーに就任。実行委員会を組織し、運営はKrushを成功させた株式会社グッドルーザーが担当する。 コンセプトは「100年続くK-1」。一時的な盛り上がりではなく、地に足のついた活動をしていくのが狙いだ。そのため、まず新生K-1はオフィシャルジムを開設。第1回大会は高校生トーナメント「K-1甲子園」を中心としたアマチュア大会だった。さらにキッズ部門、ジュニア部門も設け、“気軽にスポーツを楽しむ場”としてのK-1を作り上げようと力を入れてきた。 新生K-1、65kg以下の世界トーナメントを開催。 そして11月3日、国立代々木競

    新生K-1が65kgトーナメントを開催。見事に受け継がれた伝統と“らしさ”。(橋本宗洋)
  • J1上位陣が次々と敗退した天皇杯。意外と知らないカップ戦の意義とは?(細江克弥)

    今年元日の天皇杯決勝では、横浜F・マリノスが7度目の優勝を飾った。一発勝負ゆえのドラマ性は、これからも名勝負を生み出し続けることだろう。 サッカー界は、ワールドカップが終わっても慌ただしい。 W杯による中断期間中も着々とスケジュールをこなしたJ2リーグ、ナビスコカップ、天皇杯はもとより、息つくまもなくJ1リーグが再開され、順位表を眺めて頭の中を整理するうちに欧州リーグの新シーズンも開幕した。 日人選手の活躍を噛みしめる間もなくアギーレ・ジャパンが発足し、9月、10月と試合をこなす。飛び交う情報のあまりの多さに、何をどれだけ把握するべきか迷うばかりだ。 そうこうするうちに、2014年も残り約3カ月となって1年という時間の消化速度に改めて驚く。 47大会ぶりに元日に決勝がない天皇杯。 この時期になると年末年始のスケジュールを何となく頭に入れておきたくなるのだが、今シーズンのカレンダーは例年と

    J1上位陣が次々と敗退した天皇杯。意外と知らないカップ戦の意義とは?(細江克弥)
  • 「80歳まで投げられたら夢があるよね」山本昌が忘れない“しつこい”子供心。(田口元義)

    5日の阪神戦では老獪なピッチングで5回無失点に抑えて今季初勝利を挙げた山昌。実はセリーグ最年長安打と打点記録も保持していて、今後打者としての最年長記録を更新するチャンスも巡ってくるだろう。 現役生活31年。プロ野球の歴史上、最も長くプレーしている山昌に、「そこまで長く野球を続けられる理由ってなんでしょう?」と、無粋な質問をぶつけたことがある。 「レジェンド」、あるいは「球界のシーラカンス」と呼ばれる男は、その問いを真剣に受け止め、しっかりと咀嚼した後にこう答えてくれた。 「ガキだから、かな? よく、小学校の先生とかが生徒に『真面目に生活していれば、いつか必ずいいことがある』みたいに教えるじゃない。僕なんかも、それをずっと信じてやってきたからね。『野球の神様がいる』って信じているタイプだから。要するに、ガキのまま大人になった。そのガキが、意外と強かったってことですよ、ははは」 お立ち台で

    「80歳まで投げられたら夢があるよね」山本昌が忘れない“しつこい”子供心。(田口元義)
  • 大阪桐蔭、西武で育まれた積極性。森友哉が進む「打てる捕手」の道。(田口元義)

    堂々と打席に向かい、豪快に打球を飛ばす。その立ち振る舞いには、とても19歳とは思えない貫禄が漂っている。 森友哉はそのパフォーマンスで、瞬く間に西武ファンの心を鷲掴みにした。 プロデビューとなった7月30日のオリックス戦で、いきなり初打席に初安打をマークすると、8月14日のオリックス戦ではプロ初アーチを逆方向のレフトスタンドへ流し込み、技術の高さを印象付けた。 ここまでなら、過去にいくらでも前例がある。森が周囲の度肝を抜いたのは、むしろその後のパフォーマンスだった。 翌日の15日の日ハム戦ではライトへ強烈な一発を放ち、さらに翌日にはセンターバックスクリーンへ叩き込んだ。史上2人目となる高卒新人による初塁打からの3試合連続塁打。1年目からアーチを量産した清原和博や松井秀喜ですら辿りつけなかった領域に、森はわずか9試合で到達したのだ。 ここまで18試合に出場し、打率4割1分7厘、3塁打

    大阪桐蔭、西武で育まれた積極性。森友哉が進む「打てる捕手」の道。(田口元義)