(CNN) 第2次世界大戦中の1942年6月28日にエジプトのサハラ砂漠に墜落した英国空軍の戦闘機キティホークとみられる残骸がこのほど発見された。 ポーランドの石油会社の社員が発見し、保存状態は極めて良好で、機体、主翼と尾翼、操縦室の計器類の大部分が無傷の状態で残っており、専門家らは「まさに奇跡」と驚きを隠さない。 当時24歳だった英国空軍のデニス・コッピング軍曹は同戦闘機の修理のため、別の空軍基地に向かっていたが、途中で方向を誤り、その後サハラ砂漠に墜落した。 戦史家アンディ・サウンダース氏は、コッピング軍曹は飛行中に頭が混乱したと見ている。 そして軍曹が過ちに気付いた時には、すでに燃料不足で引き返せない状況だった。墜落現場には、日よけとして使ったと見られるパラシュートなど、軍曹が無事に着陸したことを示すいくつかの証拠が残されていた。 しかしサハラ砂漠の猛暑の中で、そう長くは生きていら
【新華社瀋陽5月7日】遼寧省の文物局と測量・地図作製局は先ごろ、長城資源調査報告の中で、山海関の外側の遼寧省綏中県で長約20キロの長城跡を新たに見つけたことを初めて明らかにした。今回見つかったのは「南線長城」で、遼東鎮長城と薊鎮長城の関係が確認された。 新たに見つかった城壁は、綏中県永安堡郷ショウ(けものへん+章)狼銃村溝外屯の南嶺山長城第1区間から南線に属する李家堡郷婁家溝村荊条溝屯の荊条溝北山長城までで、北線の錐子山~金牛洞区間の長城と並行している。調査の基準に従い、この区間を32に分けている。城壁は石垣が中心で、南嶺山の自然の地形を巧みに利用し、北線長城と呼応する形で強固な防護障壁を築いていた。 調査に参加した遼寧省の考古学専門家、王綿厚氏は次のように述べた。学術界と文献資料では、遼東鎮長城の遼西区間と薊鎮長城の西端の接点について、見解が異なっていた。今回の発見で錐子山を境にした薊遼
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