今まで何となく買いそびれていた、内田道夫 編『北京風俗図譜』東洋文庫 を購入したので、パラパラ捲ってフムフム言ってます。オンデマンド版だと図版が大きくて些かお得気分です。なんか東洋文庫のサイズだと図版ちっこそうで躊躇していた部分はあるんですよねぇ…。で、寡聞にして知らなかったんですが、これ絵画部分は青木正兒センセが留学してた時に現地の絵師雇って書いて貰ったモノの様ですね。もっともこの本の肝は各画の解説部分にあるので、注釈を付けた内田道夫センセの本だと言うコトは間違いないんですけど。 で、パラパラ捲っているとこんな記事に遭遇。 神仏をまつる寺廟にも、それぞれはやりすたりはあるが、北京城内のそれは、いずれも整頓されたものが多かった。前門の関帝廟は『三国志』で有名な関羽の霊をまつるもので、鼓楼の関帝廟とともに人を集め、つつましやかな男女の神前にぬかずく姿が見られた。明の成祖永楽帝が蒙古王ベンヤシ
今年は中華民国暦100年、つまり辛亥革命から100年。 今年はやはり臺灣でしょ、ということで、卒業旅行は臺灣へ。 初日は台北の発祥の地、万華地区の龍山寺からはじめる。 臺灣といえば中国共産党に追われて大陸から移り住んだ国民党の国と思う人が多いだろうが、そんな単純なもんでない。万華(ばんか)の語源が臺灣の先住民ケダガラン族のつかう丸木舟「モンガ」にあることが示しているように、臺灣はじつはついこの間までケダガラン族のようなマライポリネシア系の人々が住んでいた。 しかし、300年間続いた、とくに1949年以後の漢人の大量移民の結果(日本の統治期もあった)、いまやケダガラン族はどこかにいっちゃって、その文化がどんなもんかもわからなくなっちゃった。おとろしや。 で、このようなマライポリネシアの先住民や、初期の大陸からの移民「内省人」、1949年以後大量移住してきた中国人である「外省人」をはじめとし、
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