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ば_バルカン諸国史と*に_ニュース記事に関するbitheibooのブックマーク (2)

  • ワラキア公ヴラド3世が使用したカルバリン砲の砲弾がブルガリアで発見

    2019年5月30日、十五世紀のワラキア公ヴラド3世(在位1448年、1456~1462年、1476~1477年)が対オスマン戦争で使用したと思われるカルバリン砲の砲弾がブルガリア北東部、ドナウ川沿いの町スヴィシュトフ(Svishtov)の発掘現場で発見されたと“Archaeology in Bulgaria”が報じている。 Culverin Cannonballs from Vlad Dracula’s 1461 Victory over Ottoman Turks Found in Danube Fortress Zishtova in Bulgaria’s Svishtov - Archaeology in Bulgaria. and Beyond Cannonballs from culverins – primitive early medieval cannons – most

    ワラキア公ヴラド3世が使用したカルバリン砲の砲弾がブルガリアで発見
  • 百年新報 (1912.11.02) | 東京史楽

    勃軍大勝利 「東京朝日新聞」1912/11/02 参加兵数三十万 土軍退却醜態 土耳其(トルコ)スレシヤ州に於ける合戦は明かに勃牙利軍の勝利に帰したり。双方の軍は各約十五万宛より成り、二十九日相接触し、爾後合戦数回に及べり。戦線長き事、二十五喜米(キロメートル)を越え、交戦四十八時間以上に亙れり。勃牙利(ブルガリヤ)軍は迅雷の勢ひを以てルレプルガスよりブナルビサルに至る間に立ち並ぶ土耳其軍の陣地を攻撃せるが、土耳其軍亦頑強に之を抵抗せり。然れども結局、土軍の戦敗に帰し、皆狼狽、列を乱してセライ地方よりチョルルー方面に退却し、恰も雪崩の如き勢を呈せり。勃軍は猛烈に之を追撃し、多大の死傷を生ぜしめたり。猶、大砲、旗等多数、勃軍の手に落ち、又捕虜となれる土兵少からず。 タイムス巴爾幹論 倫敦(ロンドン)タイムスは塞爾比(セルビヤ)及び黒山がノヴィバサルを占領し、以て墺太利(オーストリヤ)のサロ

    bitheiboo
    bitheiboo 2012/11/03
    朝鮮京城野球団の記事が興味深い。「柳はスピードもあり、アウト・ドロップ等のカーヴに巧にして、スピットボールをも弄す。」。ちなみにスピットボールは当時はルール上認められていたらしい。
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