タグ

2010年11月30日のブックマーク (2件)

  • 曹操の墓を専門家が解説したよ(その二) - 枕流亭ブログ

    その一のつづきです。 いよいよメインディッシュの登場です。曹操墓の発見と認定の経緯の解説です。曹操墓発掘現場の隊長さんこと潘偉斌氏の発表を紹介します。一連の騒ぎではマスコミへの露出もけっこう激しかった人ですね。 曹操高陵の発見と発掘および初歩研究 潘偉斌(河南省文物考古研究所) 一、曹操高陵の歴史伝説 曹操の墓の位置については、古くから様々な伝説があった。清の蒲松齢『聊斎志異』の許昌城外説、清の沈松『全健筆録』に引く『堅瓠続集』の漳河の川底説、近代の鄧之斌『骨董瑣記全編』の彭城鎮説などが見られるが、いずれも信用に足るものではない。 また“七十二疑冢説”があり、『輿図必考』に磁州(現在の河北省磁県)に七十二か所の曹操の偽の墓のあったことが記される。清末民国初にはこの地域は荒れ果て、“七十二疑冢”の多くが盗掘されるが、出土遺物などからみて、多くが北魏・北斉時代の王公貴族墓であった。その中には東

    曹操の墓を専門家が解説したよ(その二) - 枕流亭ブログ
  • 曹操の墓を専門家が解説したよ(その一) - 枕流亭ブログ

    地元・愛媛大学で東アジア古代鉄文化研究センター第3回国際シンポジウム『三国志・魏の世界―曹操高陵の発見とその意義―』 というのがあったので、行ってきました。 http://www.ccr.ehime-u.ac.jp:80/aic/sousousympo.html 白雲翔・潘偉斌・郝性・張志清の4氏を招いて、曹操の墓(西高穴村2号墓)の発見を中心に、近年の漢魏の考古調査研究を概観するような内容でした。 さて、ブログ記事化するにして、聞いたことの10割を3時間で忘れるトリ頭の記憶を頼っても仕方がないので、99パーセントかた予稿集を参照しました。長文のわりにブログ主は手抜きです。5回くらいのシリーズになる予定。 まず第一回は白雲翔氏の発表から。 漢末・三国時代考古およびその新展開―北方魏を中心に― 白雲翔(中国社会科学院考古研究所) 一、はじめに 三国時代は中国史上で大きな転換期であり、魏・蜀

    曹操の墓を専門家が解説したよ(その一) - 枕流亭ブログ