このたび、並木浩一氏の『ヨブ記の全体像』(日本キリスト教団出版局)を読んで、大いに学ぶところがあったので、私の『ヨブ記』に対する見方を再検討することにした。 並木氏の本で特に啓発されたのは、ヨブ記作家の立場を、『申命記』に代表される正統イデオロギーとの対立において、論争的にとらえるところ、並びにその時代の問題を背景として見る必要があるという指摘である。 その結果、従来の私の見方を一部修正する必要があると考えるので、以下、『ヨブ記』全体について概観してみたい。 『ヨブ記』は、プロローグとエピローグの枠に挟まれた論争的な本文という三部から構成されている。 プロローグは、ゲーテの『ファウスト』における「天上の序曲」のようなエピソードで、天上の神とその敵サタンが対話している。人間は損得づくでなければ、神に信頼を寄せるものではないという合理主義を説くサタンに対して、神は義人ヨブを示して「彼ならどんな