板垣氏は系図をたどれば、武田の支族になる。甲斐国山梨郡板垣(今の里垣)より起こった。『尊卑分脈』をみると「武田信義-兼信(板垣三郎)-四郎頼時、弟六郎頼重-孫三郎頼兼-彦三郎行頼-弥三郎長頼」と出ている。現在の甲府市にあたる一条荘に領地を持ち、代々武田氏に仕えた。 戦国時代になると武田信重に仕えた板垣三郎左衛門、信昌に仕えた弥次郎兼光らが知られ、それぞれ武勇の誉れが高かったという。そして信昌、信縄に仕えた善満は、延徳二年(1490)、武田氏が北条早雲とはじめて戦かった合戦で戦死している。この善満の子に生まれたのが、信虎、晴信(信玄)に仕えて数々の功をあげた板垣駿河守信方で、信方は父善満が戦死したころに生まれたと推定されている。信方は『甲陽軍鑑』などに信形と記されているが、武田八幡宮などに残された棟札から「信方」が正しい名乗りと考えられる。 板垣信方の活躍 武田氏が守護職をつとめた甲斐国は、