2016年11月15日のブックマーク (13件)

  • チェルノブイリ、まだ終わりではない - 長瀧重信|論座アーカイブ

    1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故発生から25年が経過した。原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)は、今年2月28日にチェルノブイリ原発事故をめぐる報告書をウェブ上に発表した。報告書の結論によると、放射線に起因するとみられる健康影響は次のようなものだった。

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    bkame 2016/11/15
    原発
  • 「影響は認められない」をどう考えるか――放射線のリスク論 - 長瀧重信|論座アーカイブ

    放射線の人体に対する影響の研究のために、人体を対象にした実験は不可能である。だからと言って、動物実験や試験管内の実験から人体への影響を予測しようにも、そこには大きなギャップがある。したがって、この研究では、過去の経験や情報をもとにした放射線の影響の分析が中心となる。 放射線の影響には、「急性」と「晩発」がある。急性は、被曝後数週間以内に現れる影響であり、晩発は、急性影響の後、長期にわたって発生する影響である。原爆被爆者が、今でも晩発影響に悩んでいるのはその典型である。原発事故では、原発内部の人に対しては急性影響が心配されるが、周辺住民に対しては晩発影響について考えることが多い。 晩発影響が、科学的にどこまでわかっているかを議論するとき、まず前提とすべきは、個人をいくら調べても放射線の影響かどうかわからない、ということである。たとえば、目の前の一人の肺がんの患者さんをいくら調べても、その原因

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    bkame 2016/11/15
    原発
  • セシウムを除きつつ、不安も除く - 長瀧重信|論座アーカイブ

    福島第一原発の事故で放出された放射性セシウムの存在は、周辺の住民周辺にとっては諸悪の根源である。放射性セシウムさえなくなれば、原発が廃炉になった後も、昔のような暮らしを続けることができる。国全体として、放射性セシウムを取り除く、除染に全力を挙げる時期ではないか。 ここで考えなくてはならないのは、

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    bkame 2016/11/15
    原発
  • 生涯線量は、みんなで考えるべきもの - 長瀧重信|論座アーカイブ

    品安全委員会のワーキンググループが、放射線被曝について「生涯100ミリシ-ベルト」という目安をうちだし、各方面で話題となっている。 この問題を考えるときに、まず注意したいのは、この「100ミリシーベルト」は厳密な境界値ではない、ということだ。 「議事概要」を読むと、「低線量の放射線による健康影響については、放射線による健康影響が見いだされているのは、通常の一般生活において受ける放射線量を除いた生涯の累積の実効線量として、おおよそ100ミリシーベルト以上と判断し、100ミリシーベルト未満の健康影響について言及することは現在得られている知見からは困難であるとされた」と書かれている。

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    bkame 2016/11/15
    原発
  • 被ばく線量の実測データ:分析と提言 - 長瀧重信|論座アーカイブ

    福島原発事故から1年余りが過ぎました。この1年間に実測データがいくつも公表されていますが、実測データが報道されるときには、常に最大値が取り上げられ、1人、2人の値に焦点が当てられます。このように例外的に高い数値の人に対しては、個別にその原因を調べて対応策を考えることが大切です。一方、国や県レベルで全体の体系的な対策を考えるときは、大多数の住民の被ばく量を踏まえる必要があります。今回はそういう視点に立って、住民の被ばく線量について、公表された調査データから分析してみます。 【外部被ばく】 外部被ばくの測定は、「個人の行動記録」と環境の放射線量をもとに個人の外部被ばく線量を推定する方法と、個々人に「線量計」をつけてもらって直接に測定する方法があります。個人の行動記録は、原爆被爆者、JCO事故の周辺住民などで使用され、線量計は職業として被ばくする医療職、研究者、原発従業員など放射線業務従事者に使

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    bkame 2016/11/15
    原発
  • 「放射線の健康被害」と「災害の健康被害」 - 長瀧重信|論座アーカイブ

    放射線の健康被害を逃れるための健康被害 福島原発事故では、病院や介護老人保健施設から避難を強いられた方たちのうち、少なくとも60人が3月末までに亡くなったと国会事故調報告書に記されています。大部分がお年寄りで,そのなかには癌を患っておられる方もいたはずです。将来癌で死亡するリスクが増えるという「放射線の健康被害」は,この避難の途中に亡くなった方々にはほとんど関係ありません。自分には関係のないリスクを回避するために命が失われたという事実は,「放射線の健康被害」とは異なる種類の健康被害が存在したということです。 さらに、避難生活が長引くとともに数百人が亡くなったと報道されています。福島県が実施している健康調査でも、避難生活のために多くの成人病の症状が出現していると報告されていますし、一方で医療の供給態勢は被災地では非常に限られています。亡くなった方たちの多くは、自宅で暮らしていたら健康に過ごし

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    bkame 2016/11/15
    原発
  • 福島事故の放射線による健康被害が「考えにくい」理由(上) - 長瀧重信|論座アーカイブ

    国連科学委員会(UNSCEAR)や国際放射線防護委員会(ICRP),国際原子力機関(IAEA),世界保健機関(WHO)などの国際機関、日ロシアなどの現場の専門家たちを集めた国際学術会議(International Academic Conference 、以下福島コンファランスと省略します)が2月に福島医大の主催で開かれ、その講演のすべてのスライドがWeb上に公開されました。 参加した専門家の間では、共通した科学という立場で自由に意見の交換があり、県民健康管理調査検討委員会の「健康障害は考えにくい」という評価の基礎になった個人被ばく線量の発表に関して特に異論はありませんでした。筆者も日側の基調講演で、健康影響は考えにくいと述べました。なぜそのように判断できるのかを、講演内容を紹介しながら述べていきたいと思います。 1) 被ばく線量の考え方と測定値 シーベルトというのは、人間の被ばく線

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    原発
  • 福島事故の放射線による健康被害が「考えにくい」理由(下) - 長瀧重信|論座アーカイブ

    の科学者が果たすべき責任は、大きく言って二つあります。一つは被ばく線量の測定であり、もう一つが被ばく線量に基づいた健康影響の推定です。過去の経験に基づく科学的な国際的な合意にしたがって推定することが大事です。 外部被ばくに関しては、UNSCEARの科学的合意があります。原爆被爆者の調査結果をもとに100-200mSv以下の被曝では、疫学的に影響は認められないと明記されています。ICRPでは防護の考え方として公衆被ばくは年間1mSvを限度と勧告していますが、職業とした場合には年間の被ばくは50mSv (5年間で100mSv)が限度になります。福島の住民で被ばく線量が最も多いとされる避難地域、計画的避難地域の方々でも最高は15mSvで99%の方々が10mSv以下ですから、健康管理調査委員会のように「健康被害は考えにくい」という結論が導かれます。 甲状腺は外部被ばくにも敏感で、子供のアザ、真

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    bkame 2016/11/15
    原発
  • 投下6年後に出版された『原子爆弾の医学的影響』がネットで無料入手可能に<上> - 長瀧重信|論座アーカイブ

    投下6年後に出版された『原子爆弾の医学的影響』がネットで無料入手可能に<上> 長瀧重信 長崎大学名誉教授(放射線の健康影響) 無料でダウンロードできるようになった 1951年にアメリカで出版された『原子爆弾の医学的影響(MEDICAL EFFECTS OF ATOMIC BOMBS)』(英文の正式タイトルは記事末の文献参照) の6冊すべてが、インターネットからダウンロードできるようになりました。そこで個人的にすべてダウンロードしてCD-ROMを作成し、昨年の暮れに国内の関連研究施設約30箇所にお送りしました。 原子爆弾の医学的影響(Medical Effects of Atomic Bombs:The Report of Joint Commission)全6巻、1951年、アメリカ陸軍病理研究所 出版 この6冊の原は、日では放射線影響研究所(放影研)の広島の図書室に一組あるだけです。

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    bkame 2016/11/15
    原爆
  • 投下6年後に出版された『原子爆弾の医学的影響』がネットで無料入手可能に<下> - 長瀧重信|論座アーカイブ

    投下6年後に出版された『原子爆弾の医学的影響』がネットで無料入手可能に<下> 長瀧重信 長崎大学名誉教授(放射線の健康影響) 被爆者と被曝者、ヒバクシャ 現在、原爆による死亡者は、広島・長崎を合わせて21万人、一方東京大空襲の死亡者は10万人とされています。両者ともに爆弾による爆風、熱傷、さらに火災によって死亡していますが、戦災者の中で東京大空襲の被災者は援護せず、原爆被爆者だけを援護の対象とするという戦後の政府の方針から、両者を区別するために放射線の影響のみが援護の条件とされてきました。 原爆症 は、放射線起因性のある疾患に限定されています。原子爆弾による「被爆者」の中から放射線被ばくによる「被ばく者」が援護の対象となり、この流れで世界で使われている「ヒバクシャ」は放射線の被ばく者を指すようになっています 。援護のための政治的な線引きが、「原爆の影響はすべて放射線の影響」という感覚を日

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    bkame 2016/11/15
    原爆
  • 福島事故後の科学者コミュニティーの反省と責任 - 長瀧重信|論座アーカイブ

    福島事故後の科学者コミュニティーの反省と責任 「放射線の人体に対する影響」の科学的な合意形成と社会への助言が必要だ 長瀧重信 長崎大学名誉教授(放射線の健康影響) 福島事故後4年間の混乱の反省 福島原発事故以来、放射線の健康影響に関しては様々な科学者、専門家の意見が対立したまま主張されています。1ミリシーベルトでも危険であるから避難すべきであるという学者もいますし、100ミリシーベルトでも影響は認められないと主張する学者もいます。さらに、科学者間の議論に加え、それぞれの意見に一般の支援者が存在し、自分が賛成する科学者を支援し、反対する科学者を誹謗しています。 このような様々な個人的な科学者の意見が、科学者コミュニティーの中での中立的・科学的な発表や討論、評価の過程を経ることなく直接社会に発表され、また報道機関が取り上げてきたことが、この4年間の混乱の大きな要因であると思われてなりません。

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    bkame 2016/11/15
    原発
  • オバマ氏広島訪問に被爆者の援護問題を思う - 長瀧重信|論座アーカイブ

    原爆投下後71年目にオバマ大統領は広島を訪問した。原爆資料館を見学し、原爆慰霊碑に献花し、原爆の悲惨さを認識して核兵器なき世界を追求する勇気を語った。 原爆の被害 原爆の悲惨さは、被爆者の記憶として保存され語部(かたりべ)によって直接伝承されるとともに、当時のさまざまな資料が広島平和記念資料館や長崎原爆資料館に展示されている。さらに多くの写真集、文集の記録も刊行されている。 原爆の爆弾としての科学的な記録も、占領軍であったアメリカ陸軍から1951年に6冊の出版物として刊行され(WEBRONZA2014年2月18日「投下6年後に出版された『原子爆弾の医学的影響』がネットで無料入手可能に<上>」)、また共同して資料を作成した東京大学を中心とする日の学者によって日学術会議の調査報告として1951年に総括編、1953年に2冊の分冊が刊行され、その解説的な一般書も刊行されている(WEBRONZA

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    bkame 2016/11/15
    原爆
  • 甲状腺がんとチェルノブイリ、そして福島 - 長瀧重信|論座アーカイブ

    甲状腺がんとチェルノブイリ、そして福島 小児甲状腺がんの増加が国際的に確認されるまでの道のりを振り返る 長瀧重信 長崎大学名誉教授(放射線の健康影響) 東京電力福島第一原発事故からまもなく5年、1986年4月のチェルノブイリの原発事故からは30年になります。福島では県民健康調査の甲状腺検査で継続して甲状腺がんの子供が発見されています。チェルノブイリの原発事故の健康影響調査に最初から関係してきた筆者として、福島で継続して甲状腺がんの患者さんが発見されている状況の解釈にお役に立つことを願って、チェルノブイリで小児甲状腺がんの増加が国際的に確認されるまでの経過を詳細に記載することにしました。 チェルノブイリ事故初期の状況(10年目1996年まで) 事故の起きた1986年から1990年までは、ソビエト連邦からの事故の情報は非常に限られたものでした。1990年にソ連政府は正式に国際原子力機関(IAE

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    bkame 2016/11/15
    原発