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ブックマーク / blog.livedoor.jp/easter1916 (2)

  • ララビアータ:寺の経営(教会と信仰) - livedoor Blog(ブログ)

    久しぶりに小学校のクラス会に出たら、寺を継いだ友人や、墓の設計を手がけている建築家の友達と話し込むことになった。今日、寺を維持する経営は、御多聞にもれず、なかなか厳しいらしい。もともと十分な不動産があって、半ば不動産業を兼業できるような寺は別だが、現代人の生活が葬式以外では寺から遠ざかるようになると、十分にお布施を集めるのも難しいわけだ。戒名の文字ひとつについて、なぜあれほどのお金がかかるのか合理的に説明できる人はいないから、このようなところでも遠からず「価格破壊」が起こらざるを得ない。 友人の一人は、仏教界でも宗教改革が必要なのではないかと言う。 だがいかにして? 橋爪大三郎氏によれば、排除された人々は仏舎利を納めた仏塔(ストゥーパ)の周りに集まり始める。彼らは、己の悟りより、悟りを開く前の釈迦(菩薩という)に自己同一化し、菩薩道を目指す事になる。それというのも、彼らには、戒律を通じた正

  • ララビアータ:ムハンマドの奇跡 - livedoor Blog(ブログ)

    預言者ムハンマドは、あるとき多くの信徒の前で言った。「決して揺るがぬ信仰心を持ちなさい。それさえあれば、あの山をひざまづかせる事もたやすい。」そこで彼は、山を動かそうと一心に祈った。そうすると何と、山は… 山はびくともしなかった。 固唾をのんで見守っていた信徒たちの前で、ムハンマドは少しもあわてず言った「山がここへ来ないのなら、私が山の方へ赴こう。」 この逸話は、何を意味しているのであろうか? ムハンマドが大法螺ふきのペテン師だった事を示しているのであろうか? 決してそうではない。 信仰が動かなければ、山が動く。山が揺るがなければ、信仰が揺らぐ。この因果が中断されるのだ。はじめ人々の関心は、多少の期待を込めて、山が動くかどうかに集中している。だが、山が動かぬとわかってからは、今度は信徒たち、ひいてはムハンマド自身の信仰がこれで揺らぐかどうかに、関心の焦点は移動する。しかし、いずれも動かない

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