遙から 私は病院に行くのが嫌いだ。ま、好きな人も少なかろうが。 理由は“不信”にある。まわりを見渡すと、「毎年検査を受けていたのに…」と言いながら逝った人のなんと多いことか。 そもそも当事者が病院に足を運ぶ動機はその時点で「ここがちょっと…」といった心当たりがある。程度の差こそあれ少なからず本人なりの深刻さがある。 メディアがあおる健康志向や病気解説が、「自分もそこそこの世代だし…」と「ここがちょっと」の不安を膨らませ、“安心”を買いたくて病院に行く。だが、毎年「安心を買ったはずなのに…」と言い残して逝く。 見送る側は「運だ」とか「寿命だ」とか言うが、私は“安心”を売った側の責任はないのか、と訝しさがぬぐいきれないでいる。 どの医師に担当してもらうかも“運”。うまく見つけられるかも“運”。治癒するかどうかも“運”。生きるも死ぬも“運”。ならば、ほとんど医療は科学ではなく人間の手の届かない領