ブックマーク / www.tv-asahi.co.jp (2)

  • ザ・スクープ

    今から61年前の8月6日午前8時15分― B29から投下されたウラニウム型原爆は、広島上空で炸裂し、一瞬にして 約14万人の命を奪った。いち早く現地に駆けつけた日の原子核物理学の父、 仁科芳雄博士は、その時の思いをこう綴っている。 「原子爆弾のできた今日となっては、何人も戦争に対する態度を根的に 変えなくてはならぬ。どうしても戦争は止めなければならぬ。」 しかし、日が世界唯一の被爆国であると同時に、アメリカとの熾烈な核開発 競争にしのぎを削っていた事実はほとんど語られることはなかった。 実は、敗戦濃厚だった日の軍部にとって、原爆開発こそが起死回生の「神風」 であり、もし先に開発していれば、サイパンに先制使用していた可能性が あった。そして、その原爆製造計画の責任者こそが仁科博士その人であった。 太平洋戦争末期の断末魔の日で、一体何が起きていたのか? 原爆と

    blackspring
    blackspring 2012/08/26
     「終戦61年目の事実 ~昭和史の"タブー"に迫る~」第1部:幻の原発開発計画 ~若き科学者たちの知られざる戦い~ 第2部:許されざるメス ~九州大学生体解剖事件~
  • http://www.tv-asahi.co.jp/tatemono/index_top.html

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    blackspring 2008/11/06
     「渡辺篤志の建もの探訪」のテレ朝内の公式
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