「アオサギ=鈴木敏夫」は確定情報ではないが、「鈴木敏夫のような油断ならない存在と友情を育むことの尊さ」は紛れもなくあの映画に存在していた。映画そのものの感想というよりも、映画を通して広がった考察ゲームに対しての感想みたいになってしまうが、私が言いたいことを一言で終わらせるならコレになる。つまり以下はその補足説明であり蛇足だ。 外野が元ネタ探しをするほどに「解釈」の本質からは離れていく映像の奥から「表現したかった感情」を引き上げるために、元ネタとなった事象そのものを言い当てようとするのは正しい過程ではない。 それはまた別のゲームであり、通常の考察と同じ枠組みでやるようなことじゃないはずだ。 眞人が自分を傷つけることによって周囲をコントロールしたことについて、宮崎駿の引退詐欺が元ネタであるかどうかを推理することに深い意味はない。 そもそも「人間には誰しもそういった悪意がある」というのは、別にア