人間50年。下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり。 天正10年(1582)6月2日 本能寺にて家臣の明智光秀公の謀反により奮戦空しく その波瀾にみちた49年の生涯を自ら絶たなければならなかった戦国時代の風雲児織田信長公。 幼少の頃はうつけ者として数々のエピソードを残し桶狭間の戦いにより 一躍戦国時代の中心的な存在に。 比叡山焼き討ちなど、時には狂気を孕んだ行動も起こしたが、 その卓越したリーダーシップと、革新的かつ独創的かつ合理的な決断力と行動力とで、 天下統一を推し進めた。 今なお尊敬する歴史上の人物ナンバーワンとして、絶大な人気を誇っているという。 現代においても人を惹き付けるその魅力とはなにか? さまざまな伝説とともに、信長公が残した足跡はここ京都に数多くあるが、 今回は信長公終焉の地本能寺をはじめとする信長公の墓碑を中心に、訪ね歩いてみた。